天影麻鈴シリーズ 第二弾
『魔天蛇/双瞳魔鱗』
不死身 乱

〈それでは、麻鈴シリーズの一部をお届けしましょう。〉


《第一話  暗  闘》

      空白に長い釘を打ちつけましょう
    時の隙間から血が流れる
    私の躰に流れている
    数え切れない傷をつけたの・・・
                                                                私の愛したあの人に
                                                                ガラスの靴を贈りましょう
                                                                そして瞼を閉じて
                                                                投射された唇を受けましょう
    足首にもっと重い鎖をつけましょう
    自由な心を殺して生きる
    私の頭に浮かべている
    数え切れない傷をつけたの・・・

                                                             私の愛したあの人に
                                                             幻惑の時計を贈りましょう
                                                             憧憬を残した顔で唇を受け止めて
                                                             あの人の舌を噛み切ってしまう
 
    捜し物をしながら
    あの人は去っていく
    捜し物は私の中
    消えない傷をまたひとつ
                                 私は獲物を求めている
                                 私は獲物を求めている・・

                                     砂月 城 詩集「黒 蝶」より
                                                                                      黒 蝶

                          
 夕刻になって人影は疎らになってきた。
 その時を待ちわびていたかのように、風は吹き始めた。風はホテルから水の匂いのする方へ流れる。
 近くに〈大浪の池〉がある。池と言うよりは湖に近い。湖は周囲をミヤマキリシマツツジや楓で覆われた標高千四百メートルを越える高原にある。透明度の高い湖である。日中は美しいコバルト・ブルーの水面を湛え、周囲の峯を映す。
 湖面は時間と共に日射しの加減で色を変え、その神秘性が人を展望台へと誘う。しかし、美しさと裏腹に酸性度の強い湖中に生命はない。死の湖でもある。
 風は湖面が眺望できる展望台へと向かう。木々の間に整えられた道を避け、足場の悪い脇道を音を立てずに抜けていく。陽は傾きかけ、残照は力を失いつつある。周囲には夏の終わりを告げる虫達の声だけが響く。
 展望台まで後僅かというところで、はたと静寂が訪れた。辺りの虫達が息を潜める。
 人の姿はない。不意に吹いた風に驚いたようだ。バリバリと奇妙な音・・、フッと吐き出す音。風が過ぎるとまた虫達の輪唱が始まった。
 風は展望台に登りつくと遊歩道へと流れて出た。幅の狭い道の所々に丸木を土に埋め込んで作った階段が出来ている。段差に腰掛け休息する数名の男女に接触したが、人の目に姿は映ってはいない。見えないものは沢山ある。風もそのひとつだ。見えないばかりか肌で感じることもない。そういう生き方をしている。風はまるで異次元の世界からやって来た物の怪のようだ。
 希薄な流れはすっかり人のいなくなった遊歩道を外れ、森を下る。暗くなる湖面へと向かってゆく。

 同じ頃、細い影が湖面の畔にあった。カルデラの火口湖までは茂みの中を相当下らなければならない。人がここまで下りることは禁止されている。下ってくる道もない。危険区域の湖面の周囲はゴツゴツとした大きな岩が激しい起伏を築いている。その中のひとつ、湖に迫り出した一際大きな岩の上に影はあった。
 背中を丸くして腕で両膝を抱いて座っている。
 影は日中、韓国岳(からくにだけ)にあったものだ。ここから一時間半程のハイキングコースを登ったところに標高千七百メートルの韓国岳はある。頂上に登ると隣国の韓国までが見渡せるところからその名称が付いたらしい。下界の眺望が素晴らしい霧島山群の最高峰である。
 影は軽い準備運動代わりにその山に登った。ハイキングコースとは言え健脚向けのその登坂を常人の半分の時間で済ませ、雄大な眺望を満喫した後に待ち合わせの湖畔まで下りてきた。影もほとんどその行程の間、人に姿を晒すことはなかった。湖面に渡る微風で流した汗を乾かしながら夕涼みを楽しんでいた。禁断の地に積まれた賽の河原の石仏のように影はじっと動かない。それでも時々影の顔の部分から長いものがチョロリと出る。影は陽の傾きと共に変化してゆく湖面の色をじっと見ていた。岩に腰掛けてから数時間が経っていた。影の細い肢体が夕闇に溶け込こもうとしている。
 影は少しづつ風の流れを感じ始めていた。

 湖畔の黄昏は駆け足で過ぎ去っていく。
 落ちゆく暗幕の中で、風も影もお互いの存在に気付いていた。それでも、ふたつは動かない。影は岩の上で漆黒に溶け込み、自ら主のない影となっていた。風は三十メーター程離れた岩場から自らの背中に気を集めていた。
 ふたつの存在は決して知り合いではない。これまで触れ合うことはなかった。今は語らず、お互いを感じ、理解しようとしていた。
 蝉の悲しげな鳴き声が絶たれると、秋を告げる虫達の鳴き声が岩肌に響き出してくる。高原の夏の終わりは早く、流れる空気は冷たい。
 風の方から動いて影のそばに近付いた。それに応えるようにスルスルと立ち上がって影が伸びる。影はゆっくりと振り向いた。
 風は向かい合ったのを感じて声をかけた。
 「君かい、僕に熱いラブレターを送ってくれたのは・・」
 「来て頂けて嬉しいわ。やっと声をかけて下さったわね」
 風は男、影は女の声だった。微かに水の薫りが漂う。まだ、二人の距離は決して近くはない。女の艶やかで甘い声は賑やかな虫の音色に邪魔され、やっと男の耳に届く程度だ。
 「僕は君のことを少しも知らないが、素敵な手紙の差出人に一目会いたくなってね。ここまで来てしまったよ」
 「今日お会いできることをずっと楽しみにしていましてよ」
 影の言葉に嘘は感じられない。
 「光栄だね。でも、どこをそんなに気に入ってもらえたのかな。僕はあまり女性からもてるタイプじゃないんでね」
 男は謙遜して言ったわけではない。それでも、いい処もあると思っている。痩身ながらも強健なる肉体、折れない闘争力、そして多少ロマンチストな性格だ。しかし、顔は駄目だ。切れ上がった目、こけた頬、尖った鷲鼻、薄い髪。同性でも決して知り合いにはなりたくないタイプだろうと理解している。
 「貴方の神秘的なところ・・。わたしは神秘的なものを愛してますの。だから、今日お会いする場所もこの黄泉路に至る湖畔にさせて頂いたの。ここはお気に入って頂けたかしら?。人が下りてくることのない二人だけの場所・・」
 「ああ・・。えびのに来るのは初めてだが、これほど美しい自然郷とは知らなかった。昼間は長く赤いススキを見てきたよ。でも、ここは少し寂しすぎるな。湖畔なら摩周湖も中々いいと思うけどね」
 影から送られてきた無記名の手紙は詩的な文面で纏められていた。それを思い出した風は暫く会話を楽しんでみることにした。
 「ごめんなさい。わたしは寒いところは苦手なの。わたしはここよりもっと南の国の生まれだから・・。でも硫黄で変色した赤いススキはここでしか見れなくてよ。あれは何か切な気で素敵だわ」
 声は若い。ねっとりと溶けるような甘美さがある。声だけでいい女と決めつけられる。
 「赤いススキよりも南方系の美人に遭えたことを素直に喜ぶべきかな。情熱的な女性は一段と魅力的だしね」
 「お上手ね。こんな洒落た方だとは思わなかったわ。一段と貴方に興味が湧くわ。でも、片思いじゃ辛くてよ」
 「ご心配無く。見えなくても君が十分に魅力的な女性だと判ったのでね」
 「じゃあ、わたしを気に入って頂けたのね。でも、わたしはちょっと普通の女とは違うわ。わたしの瞳が炎のように赤い瞳をしていても気に入って下さるかしら?。わたし恋をすると瞳が赤くなってしまうの。本当よ」
 「燃えるような恋ばかりして赤くなってしまったのかな。でも、ここからじゃその瞳を見れないのは残念だね」
 「貴方の瞳はよく見えるわ・・。でも今夜は貴方の瞳もわたしの瞳のように赤い炎で燃えさせてみたいわ。そうすれば暗くても、貴方が何処にいても、感じることができるわ。いいかしら?」
 風には戯れの会話だとわかっている。しかし、もう少し会話を交わして、心の奥にあるあわよくばという気持ちを実現させたい、とも考えている。
 「君がどうやって燃えさせてくれるのか是非確かめてみたいものだね」
 すぐに返事はなかった。影は返事に困ったのか、粋な言葉でも捜しているのか・・。
 暫くして風は影が投げ接吻のような仕草をを感じとった。そして深い吐息の後、誘いかけるように答えた。
 「ふふ、わかって頂けて?。今、貴方がわたしの虜になるオマジナイをしたのよ」
 「それだけで私を虜にするのかい。でも、今日の私はそれだけじゃとても満足できそうにないな氈B手紙に書いてあった『わたしの大事なもの』って云うのはどうしたら貰えるのかい・・?」
 「ちゃんとわたしを捕まえて下さったら喜んで差し上げるわ」
 風にはその意味がよくわかっている。
 「やれやれ、君を捕まえるのには骨が折れそうだね」
 風は影の余裕のある態度に徒ならぬ力を感じている。
 「お願い。わたしは貴方を満喫させるだけの刺激を与えられると思うわ。捕まえて愛を注ぎ込んで・・。これまでわたしを満足させてくれた人がいないの。ひょっとして貴方ならわたしを喜ばせてくれるような気がするの」
 「それをホテルベッドの上でするってわけにはいかないかい?」
 「此処でわたしを捕まえてくれたら、わたしは貴方のもの・・。自由に出来るわ。勿論、食べても構わないわ」
 「いや、生憎、道行きで蛋白質をつまみ食いしてきたのでね。お腹は空いてないんだよ」
 「貴方は生きている物しか口にしないと伺っているわ。わたしはわたしより強い者に身を委ねてみたい。貴方に生きたまま食べられると思うと興奮するわ。お口に合うかどうかはわからないけれど・・」
 「心変わりしてみる気はないようだね。君が恋愛の結末がベビーでもいいなんて考えてくれる女性ならよかったんだけどね」
 「ふふっ、素敵な方ね。でも子供はいりませんわ。燃えるような情熱と満足感・・。それが得られれば死んでもいいの」
 風は下心を払拭し気を高めていた。お遊びは終わりに近付いている。女は先ほどから頻りに距離を測っている。気が付いてはいた。月明かりも常夜灯一本もない闇の中では、お互いに相手が持つ気配を把握することが重要な鍵となる。男も影の気配に集中していた。もうお互いの匂いの確認作業は済んでいる。
 「やっと、その気になって頂いたようね。もし、貴方が此処から一人で帰ることになったら、わたしの身体からコレを取っていって。わたしの一番大事な物・・。きっと満足して頂けると思うわ。でも、今となってはもう無理かも知れないけれど・・。ふふ」
 影は長い舌をチョロリと出して目に見えぬ素早さで乾いた唇を舐めた。フィットした黒いTシャツから覗く深い胸の夾間、その間から金属製の小物を抜き出した。ペンダントかロケットのように首に吊るしているもの。闇の中で男は形を感じとった。
 《わたしのハートを射止めてくれたら、わたしが集めた鱗(スケイル)はあなたのもの》
 風は手紙の文面を思い出していた。今掲げられた物はそれが収められている鍵だろう。
 「仕方ないね。では、前戯を終えてメインコースへと向かいますか・・。その前に手紙の最後にあった怖い詩の作者の名前を聞かして頂けるかな」
 「ごめんなさい。わたし、まだ名前もお教えしてなかったわ。そうね。わたしのことをよく知らない人はわたしを影って呼んでるらしいの。でも貴方には魔鱗と呼んで欲しいわ。素敵な名前でしょ?」
 「マリン・・・。君もマリンかい。僕はもう一人のマリンならよく知っているよ。君ほど色っぽくはないが、彼女も中々素敵な女性だ」
 「天影麻鈴・・ね。近いうちに彼女とも是非お会いしたいわ。彼女も愛すべき対象だわ」
 さらりとした女の口調とは裏腹に、ジェラシーの響きも含まれていることを、風は感じ取っている。
 「ほう、レズビアンもこなすとは幅が広いね」
 これ以上の会話は無意味と知って、風は挑発的に言い放った。影の目がキラリと光る。鋭く尖ったナイフの先に獲物を突き立てようとする目だ。女の黒い瞳はユラユラと潤み。やがて上下に揺れ始めた。瞳の振動が激しくなる。眼の奥からキュルルと神経が絞られる音がする。影の鼓膜だけに届く音である。
 そして、瞳はグ・ル・リと裏返った。

 


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