《螺旋の城》 


 3. 防波堤

 「ふう・・」
 辺りを憚ることなく深い溜息を零してしまった。何と強引なやり方をしているんだ。私は人が変わってしまったのだろうか。どうして、こんな事までしてあれを手に入れようとしているのだ?。
 長椅子に腰掛けることもせず、苛々しながら、その場に立っていた。店員が解答を持ってくるのを腕組みをして待った。煙草を吸う余裕もない。
 早くペンを手に入れ、自分の疑問を解消したい。どうしてこの街に来たのか。私は本当に以前、この街に居たのか。どうして記憶が曖昧なのか・・。
 まあ、手に取って見れば全ての疑問が解けるに違いない。いや、きっと記憶は甦ってくれる。だが、それでも思い出せなかったとしたら・・。
 十分、いや本当は五分も待っていないだろう。苛立ちが困惑に変わった頃になって、店員が戻って来た。男の顔が妙に悠然としている。
 「お客様、ちょっとお伺いしたいのですが、持っていらしたペンの製造番号を覚えていらっしゃいますでしょうか?」
 「まだ、何か問題があるのかい。そんなことまで、覚えてる理由ないだろう!」
 溜まりかねて怒声を発した。周囲の店員達の視線が一斉に集まる。しかし、今度は店員は動じなかった。
 「そうですか・・。と、申しますのも、あの商品は初めから中身が空だったらしいのです。それで、ディスプレイ用のサンプルとして使ったようでして。結婚記念日にそのような物をお渡しするような事はないのではないか、と上司が申しておりまして」
 空?・・。から・・。からっぽ・・。中身が空のサンプル品?。そんな物を探しているのか?。
 い、いや、ひょっとするとあの中に何かが入っているかも知れない。どうするか・・。
 私は疑問をぐっと飲み込んで、言葉を探し出した。
 「あの・・、兎に角、確認させてもらえないかな。前の会社が中身が空の品まで売りつけたのなら、代金は定価以上でも払うから」
 「いや、メーカーの方から初めからサンプルとして頂いたのではないかと。ディスプレイ用にはよくあることですので」
 「なら、何とか頼むよ。売ってもいない商品なんだし、況してや空のサンプル品なら品番は無くてもいいじゃないか。僕もあれを見た以上、確かめもせずに帰るわけにはいかないんだよ。中身が無くてもいいんだ。確かめたいだけなんだ。な、頼むよ。人助けだと思って」
 脂野郎は露骨に面倒臭そうに眉を顰めたが、機転が廻らず、頭到断る言葉を無くしてしまったようだ。そうだろう。どう見ても賢くは見えないんだ。オマエは。
 「・・そうですか。ま、そこまで言われるなら、商品を取り出してみますので、少し時間を下さい」
 「どれくらい、時間が掛かるのかい?」
 「ディスプレイの鍵を持った担当者が今休憩時間に入っております。探して開けるまでに少し、店内で時間を潰して下さい。用意出来ましたら、店内アナウンスしますから。お客様のお名前は?」
 畜生、急に恩着せがましい言葉使いになりやがって・・。
 「名前?。僕の名前は・・唐沢だ」
 「唐沢様ですね。判りました」
 判りましたじゃねぇだろ、承知致しましたぐらい言えないのか。
 「そうだ。貴方の名前も訊いておこう。いや、名札付けてるね。天野・・。天野さん、成る可く早く頼むよ。このデパートで買い物をしておくから」
 「え・・、そうですか。他にもお買いものを・・。有り難う御座います。そ、そうですね。一時間程頂けますか?」
 そうだ。客であることを忘れるな。頭の悪い野郎だ。また、汗をかき出しやがって。
 「わかった。じゃ、頼むよ。出来るだけ早くバスに乗って帰りたいんだ。遠くから来てるもんでね」
 「いや、唐沢様、バスは・・」
 「いいから、早く、夕方に迄は町を出たいんだ」
 「は、はい。では急いで手配をして参ります」
 天野は頭までハンカチで撫で廻しながら視界から去っていった。状況で態度をコロコロと変える能なしだ。沈着冷静さに欠けている。一番虫の好かないタイプだ。年齢は同じ位だろうが出世は出来ないだろう。だが、まあいい。兎に角、あのペンを手に入れることさえ出来れば・・。
 「さぁて」
 これから一体何が起こるのだろう。相手が相手とは云え、これ程理不尽な行動を起こしたのは初めてのような気がする。この顛末はどうなるのか。人生には不思議な事があるものだ。
 階上を見て廻るか、一度降りるか。時間を潰す場所を探さなくてはならない。そうだ。もう一度ペンを見よう。何かを思い出すかも知れない。下りのエスカレーターから、再度ボールペンを眺めた。光沢を帯びた表面がキラキラと輝いて見える。中身が空とはな。だが私を呼んでいることは間違いなさそうだ。待っていろ。もうすぐこの手の中に入る。語ってくれ。真実を。お前に導かれて、再びこの地まで来たのだから。
 再び?。いや、待て。私は本当にこの街に住んでいたのだろうか。薄まっていた疑問が沸々と再燃し始める。記憶の断片があるところをみると少なくとも一度訪れた事は間違いないのだろうが・・。
 そう、私は此処に、ホワイト・タウンまで来る手段を知っていた。そして、《この街の西のタイムズ・ビレッジに住んでいた》と言ったのは、私自身だったじゃないか。店員もあると認めていた。しかし、どの位前だっただろう。辿ろうとすると標識は霧の中でぼやけてしまう。
 ペンを取り出す迄に時間がある。やはり、考えているよりも行ってみるしかないのだろう。ペンはもう手には入ったようなものだ。タイムズ・ビレッジは街の西側。そう遠くはない筈だ。店員との遣り取りには些か疲れた。気分転換に海を見ながら歩いて行くか。そう決めると私はデパートを後にした。

 再び防波堤の上にある路に登った。此所を左に行けばいいのだろう。相変わらず人気の無い舗装路を私はゆっくり歩き始めていた。浜には降りなかった。波打ち際では、また気が塞ぐような気がした。  潮風に当たりながら歩いているうちに無意識に口笛を吹いていた。曲は『スイート・メモリーズ』だった。何故だ?。なんか自分には似合わない曲だな。それでも、旋律は勝手に唇から流れ続ける。私は細胞に身を任せることにした。
 飽きることもなく何度も何度も同じメロディーを奏でながら十四、五分程は歩いただろうか。潮風を受けながらも身体は汗ばんで来た。着ていたカッターシャツの胸元のボタンを全部外し終えると、遠くに人の姿が見えた。反対から一人やって来た。堤で見た初めての人間。スカートがはためいている。女だ。陽光を浴びながら同じ様に潮風を楽しんでいる女。そうだ、村の場所も教えてもらうことにしよう。私は少しだけ足を早めた。
 女は時々クルクルと回転しながら、踊るように近付いて来た。スカートの裾が拡がり、長い脚の太股までが露わになる。
 そして、十メートル程手前で女は突然佇んだ。私を凝視している。その表情には明らかに驚愕の色が浮かんでいる。
 「セバス!」




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