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大 輪 1
「なあ。新城、見てるか。こんなに長く伸びてるぜ。こいつは凄いな。三メーター近くはあるんじゃないか」 呼吸が落ちついてきてから、黒沢が口を開いた。 「ああ、でかいな。こんなのは子供の時に田舎で見た以来だ。だが、伸びるだけ伸びて、自分を持て余してるって感じだ」 「もう太陽を追いかけるどころか、頭が重くなりすぎて、項垂れてるように見えるな。もうすぐ、倒れてしまうんじゃないか。でかくても悲しい花だ・・」 黒澤は向日葵をまるで人であるように語る。異様な程に成長した向日葵を見ながら、俺も黒澤も同じ事を考えていたのだろう。 残暑の厳しい炎天下の中、俺達は峠越えを試みていた。俺達はサイクリストじゃない。ただ、不図した切っ掛けで体を痛めつけることになった。もう数年で三十に手が届く、日常の仕事に追われ、スポーツとは縁遠くなっている。初めはあいつを除いたあの時の五人全員で来るはずだった。久し振りに集まるのに、飲むだけじゃ芸がないだろうということでサイクリングの後の一杯を楽しむことになった。結局休みの調整がつかなかった者や言葉だけのお調子者などもいて、蓋を開けると俺と黒澤だけになっていた。 それでも、こうして此処まで来ると湧き水のように流れ出る汗は心地よかった。山道の登坂は本当にきつかったが、どちらも意地だけで止めようとは言わなかった。決して標高の高い峠ではなかったが、垂々と何処までも続く坂は俺達から会話の余裕を奪っていた。
俺達は自転車を横たえ、道端に腰掛けていた。昔取った杵柄、鍛え抜いたはずの肉体、その意識だけが景色の開けた峠の頂まで俺達を導いた。二人とも吹き出る努力の結晶を拭おうともしない。道が覆い隠されるほどに繁った木陰は涼しく、眺望は美しかった。眼下には青空に映えた田園の景色が拡がり、遠くには長く伸びた海岸線が臨める。 だが、俺と黒澤が見ていたのは景色の遥か手前にある巨大な花だった。それはガードロープの外の日溜まりの中にあった。群生した仲間達の中で一本だけが異様に突出している。多分、此処まで来る間に向日葵は何度も目にしている筈だった。だが、この一本は格別だ。頂上にあるからというよりも、大きさを誇りながらもどこか寂しげに俯いた感じが印象的だった。俺達は感想を述べ合うと再び静寂の中に戻った。
大学時代、あいつは神のような存在だった。無名の体操部でひと際異彩を放っていた。 天満は187センチもあった。大柄な体は体操には不向きで、体をコントロールするだけの筋力を得るために余計に体重は増え、敏速な動きに対応しずらくなる。だが、天満はその巨躯を見事に操り、軽々と中空を舞い、高度な技を消化した。華麗で切れのある、そして豪快な演技をいつも披露した。床、鞍馬、跳馬、吊り輪、平行棒での演技は既に完成されていたと言っても過言ではなかった。 体操界に七不思議があったとすれば、間違いなく天満がその内の三つは押さえただろう。巨体を有した目を見張る演技力。無名の高校時代。体操では全く冴えない大学への入学。天満の能力を考えるとどれも信じられない。 天満拳士郎は入学当時のある出来事から、その名を知られる存在となった。天満をよく知らない者でさえ、気軽に声を掛けた。そして、「おう!」と、その声に拳を上げて応えるのだった。その貫禄は最上級生をも凌いでいた。圧倒的な包容力を感じさせる天満と誰もが仲良くなりたがっていた。 天満は決して二枚目ではない。ワニを連想させる顔つきをしていた。そして、その筋骨隆々とした巨体にピッタリの剛毅な性格の持ち主だった。天満が名を馳せた出来事というのは、俺達が入学した直後に起こった。強引な勧誘をしかけた空手部の四年生三人を天満が一度に叩き伸めしてしまったのだ。三人は空手の県大会では常に上位を占める実力派だったが、性根は浅ましく、カンパ名目で学生から金を巻き上げ、学食では風紀係りと称して、片付けの悪い者や騒ぐ者に暴力を振るったりしていた。質の悪い輩だった。 体操部に入ってからも三人は入部を断った天満に不必要な嫌がらせを続けて、遂に堪忍袋の緒を切らせてしまったのだ。 「うぜぇんだよ!」 天満は放課後の学食で纏わり附く三人に向かってそう吼えると、坊主頭のコンドルの顔面に鉄拳を叩き込んだ。コンドルは鼻血を飛ばすと何度も床を後転した。痩せぎすのハイエナは素早く上段突きを放った。それをまともに顔面で受けとめ、天満はニンマリと笑うとハイエナに詰め寄った。繰り出す連打をウエービングで交わしながら、鉛肘を胸に打ち込んだ。ハイエナはその場で腰砕けになって悶絶した。三人目の豚野郎の愚鈍な廻し蹴りを片腕でブロックすると、軸足に足払いを掛けた。ピッグは無様に尻餅をつき、その膨れた腹に天満は容赦なく踵落としをお見舞いした。ピッグは悲鳴を上げると失神した。 「どいつもカウント・アウトだぜ。頭の悪いアニマル・ベイビーズはねんねしてな」 三分程だろうか。見事だった・・らしい。その場に偶然居合わせた黒澤から後から聞いた話だった。黒澤は何度もその時のことをまるで自分がやったことのように自慢気に話した。三人はクラブの体面のために、事を大袈裟にすることはなかったが、その出来事は現場にいた僅かな学生から大学中に広まった。天満は学内で嫌われ者だった三人の悪行を封じたことで英雄的存在になっていた。 体育館で体操の練習が始まると、他のクラブの部員や、噂を聞きつけた一般の生徒まで集まって来る。殆どの目当てが天満だった。ギャラリーは膨れ、その合間からは女子生徒達の甘い溜息が漏れることもあった。天満は気嫌がいいとそんな観衆に向け、粋に手を振る。天満が瞬間的に作る笑顔には、男女を問わず魅了されてしまうらしい。 凄ぇ。美しい。神業!。 天満はその演技でもファンを増やし、天満人気に拍車を掛けた。 しかし、そんな天満にもハラハラさせる弱点があった。あったと言うより、してしまったと言うべきか。それは鉄棒だった。あまりにも激しく回転し、大技ではその勢いが手の握力を上回り、天満は棒を握りきれずに落下することが多かった。天満は決して鉄棒が苦手だったわけではない。一年の時は力を押さえて率無くこなしていたが、二年になると、天満の哲学は徹底し、他の種目と同じように『豪快さ』に拘った。天満は鉄棒だけを妥協する自分を許さなくなっていた。 夏休みに入る直前、授業期間最後の練習も終わろうとしていた。 「最後にもう一度やらせて下さい」 要望というよりも、宣言に近い口調で天満が言った。先輩達は呆れ顔で頷く。その日も正面に鉄棒をこなせなかった天満はまだ納得がいかないようだった。 天満の鉄棒が始まった。ギャラリーが周りに群を成す。 「天満、力をセーブしろ。無茶するな。支える身にもなってみろ」 黒澤は苛立って天満が鉄棒の練習をする度に同じ様なことを口走る。 「馬鹿言ってんじゃねぇ、体操はパワーだ。今度こそ、ぜってぇこなしてやるから、しっかり補助しとけや」 「自分のことだけ考えてんじゃねぇ!」
「いつも、うるせえ野郎だな。おめえ、俺に喧嘩売ってんのかぁ。上手くいったら後でぶっ飛ばしてやる!」 普段は微笑ましいワニ顔の天満も、あの時の顔だけは尋常ではなかった。目は千枚通しの先端のように細く尖り、気合いの入った口元は裂け、世にも恐ろしい形相になる。どこから見ても人喰いアリゲーターだった。 黒澤も自ら鉄棒の下で三人目の補助に入ることになる。巨漢の落下は二人でも支えることは出来なかったからだ。 俺達の大学の体操部が話題に上ったことはなかった。過去に選手権などで優秀な成績を修めたこともない。ただ、俺達の代は粒が揃っていた。俺、黒澤、天満、武藤、このメンバーに上級生の二人を加えれば、ひょっとしてという可能性があった。それだけに天満の鉄棒の出来が大きく左右していた。普通にやれば十分にポイントを稼げるはずの天満の落下による失点はあまりにも大き過ぎる。 黒澤は冬の大学選手権に賭けていた。だから、普段は『クールが心情』の黒澤はワニ男と打々発矢にやりあってでも天満の身体を気遣い、どの部員よりも神経を使っていた。 黒澤が天満に執拗に迫る理由がもうひとつあった。趣味程度の感覚でしか練習してこなかった上級生の意識が変わったのも天満の功績によるものだと信じていた。天満の技を収得しようという情熱は部員に感銘を与えることも多かった。それだけに天満が鉄棒だけに固執し、落下を繰り返すことが、折角高まってきた志気に影響を及ぼすのではないかと懸念していたのだ。 天満の演技が始まる。巨体が押し上げられた。掴まった鉄棒が撓る。体を振り、回転を大きくする。スピードのある車輪、そして、上半身と鉄棒の間から足を抜きながら回る。両足を揃え宙でバーを越える。上向き飛び越し懸垂。続いてピルウェッテを決める。 力の演技、いつも以上の迫力。黒澤の目には初めて運動会に出る子供を見守るような不安と期待がないまざっている。逆手車輪―ひねり倒立、開脚飛び越しひねり懸垂―マルケノフだ。 演技が続く。いよいよ大技に入る。天満の顔が一段と引き締まる。何を演すのか。体育館が一瞬の静寂に包まれる。
鉄棒から身体が離れた。半分ほどに折った膝を抱えた状態で鉄棒の真上に・・。 高い。高すぎる!。中空で回転した。 身体がバーから離れている!。無理だ、掴めない。 落下する!。 流行りのE難度の技コバチだ。下で補助に入っている一年生の顔が緊張に強張っている。 黒澤の瞳は涼しい。見ている。 落ちるか?。ぎりぎり・・掴んだ!。 成功!。 天満は何事もなかったようなポーカーフェイスに戻り演技を続ける。何と強引な運び。後方抱え込み二回宙返り二回転ひねり―ムーンサルトで降りる。豪快に舞う勇姿は緊迫感でスローモーションに映る。 決まった!。 寸分のぐらつきもない完璧な着地だった。 館内がどっと拍手と歓声の渦でどよめく。天満は落下点に留まり胸を反らす。普通でさえ大きな体が巨人のように見える。天満が黒澤を見てニヤリと笑う。 「気分がいいぜ。オマエを殴るのは止めだ。その代わり、酒を驕れ。皆集めて酒盛りだ。いいな」 「酒は駄目だ。選手権が終わってからだ」 「馬鹿野郎。堅いことを言うな。少しは俺の努力に敬意を払ったらどうだ」 確かに・・、天満はバンカラだがいい加減な男ではなかった。練習にも全力を尽くす。今の練習が物語っていた。 「・・。じゃ、俺が選手権の壮行会ですと、先輩達を取り成しとくか」
天満と黒澤ががっしりと手を握った。二人とも顔が綻んでいた。 「天満君、素敵!。痺れたわ」 突然、ミニスカートから美脚を覗かせた女生徒が行き成り天満に飛びついた。ワニがその体を抱き留めた。 「おっと、君の名は」 「理沙!」 一同の視線が天満の顔から外れる。女生徒は体を持ち上げられたままで、ずり上がったスカートから白いパンティーが露になっていた。 「君もパーティーに御招待しよう」
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