| あれは確か小学校三、四年の頃の体験でした。
瓦一枚もないトタン屋根、柱も歪んだまま木造長屋、そんなバラック姿の飲食街『新宿ゴールデン地区』の『明るい花園八番街』に我家はあった。(今もありますよ。今も住んでますよ。)
でも、その頃にはまだ『明るい花園何番街』なんていう街号はなかったと思う。もう少し後になってから商店組合が名付けたらしい。車一台ほどの幅の細い筋通りに付けたストリート・ネームは今ではすっかり定着しきっています。余談ですが、ゴールデン街の二本の通りをG1・G2って言うようになったのは、98年に私が作ったゴールデン街初のホームページに利用していた呼び名だったんですよ。この呼び方も定着して来たなぁ。
特に私が住まう八番街にある店はたったの3軒。私の店「流民」、お隣の「あび庵」さん、その上の「たかみ」さんだけ!。新しい「たかみ」さんは美しいニューハーフの方がやっている女装クラブらしいので。興味のある方は是非階段を登ってみよう!。
昔は八番街にはオカマさんの店も多く、朝まで彼女?、いや彼等達の嬌声は町に響いていた。僕は子供の頃からオカマさんには当然のように馴れていたので、大人になってからも皆が彼等を見て驚くこと自体が不思議だった。当然、大人になってからもよくオカマ・バーで遊んだ。筆者の店の斜向かいにあった「ロン」さんでは20代を飲み明かしたといってもいいぐらい毎日居ましたなぁ・・。お店は閉まってしまったけど、ママは元気かなぁ。お世話になりました。普通の店では「しの」とか数件は行っていましたが、私のゴールデン街は間違いなく「ロン」でしたなぁ。
元々細い筋通りが何本かで出来た小さな酒場は、平日こそ朝方まで賑やかだったが、休日は何処もしっかり休んでいたのだろう。それは静かな日曜日の夜だった。我が家の三階から見る夜空には、徐々に都会の馨がついてきていた。花園神社の社の姿はまだローカルな面もちをしていたが、空にはサーチライトがクルクルと飛び回ったり、アドバルーンが揺れていたり、伊勢丹の○枠に伊の字のマークの電飾も子供ながらに自分が都会に住んでいることを感じさせてくれた。僕は夕食後、そんな明るい夜空を一人何気なく見上げていた。その時だった。
それはあまりにも唐突に視野の右側から現れた!。一瞬見慣れたサーチライトかと思ったが、そこには楕円形のオレンジ色の光の球が四つもあった。淡い筋を引くサーチライトの光線よりもはるかに鮮やかにダイヤモンドのような輝きを放ち、菱型に編隊を組んで空中に静止していた。大きかった。決して遠くにあるわけではなかった。
そこで楕円形の光が照度を増減させて、点灯していた。一人では信じてもらえない。僕は大声で二階で炊事をしている母を呼んだ。
「ママ、早く早く!。円盤だよ。円盤だよ。早く上がってきて!」
そう、当時まだUFOなんて言葉は使われていなかったと思う。〈空飛ぶ円盤〉とか〈宇宙船〉とか確かそんな呼び方しかなかったはずだ。母は何事か解らなかったようだが、執拗な呼びかけにバタバタと狭い階段を登って来た。あと数段という時に、その編隊はヒュン!と一瞬で視界から姿を消した。勿論、音がしたわけではない。しばらく僕の目にはその残像がクッキリと焼き付いていた。
結局、母は見ることは出来なかった。僕はいつもの夜空しか映さない窓際で、手でわっかを作って興奮しながら訴え続けた。母は信じてくれたようだったが、見せられかった僕は悔しかった。これじゃ、みんなに話しても笑われてしまう。だって証人がいない。僕はどうしても「本当だよ。僕のかあさんも見たんだ」と、付け加えたかったのだ。
母が炊事に戻ってからもしばらく空を見続けた。でも、もう来ないことは分かっていた。何故ならあの円盤達は僕の大声に驚いて逃げていったのだ。間違いない。あれは僕の言葉に気がついたのだ。それはこんなに大人になった今もそう確信している。消えるタイミングが絶妙だった。
きっと船内の誰かが僕の声をキャッチしたのに違いない。諄いようだが、僕はそう信じている。「あいつに見られたぞ」「これ以上目撃者を増やすな!」という会話が聞こえた感じだった。物体の中の生物の感覚を僕は捉え、気配を感じ取っていた。
翌日、僕は浮かぬ気持ちで学校へ行った。授業の間中、誰かにそれを話そうかどうしようか悩んでいた。しかし、目撃証人は誰もいないのだ。話したら馬鹿にされる。とっても馬鹿にされる。そうさ馬鹿にされる。それでも話したい。あ〜、話したい。とっても話したい。もう駄目話しちゃうぞおお!。
結局、僕は昼食時に隣の江花にだけ話した。彼はスプーンを放り投げて笑った。反応は案の定冷たかった。無理もないな・・、無理もないんだよ。こんな大都会東京、しかも夜でも繁華街の新宿の空に円盤が飛ぶなんてさ。例え異星からの宇宙船を信じてる奴でもスチュエーションが悪過ぎるもんな。自分に言い聞かせて諦めようと思っていた。でも江花はどんな、どんな?と訊き続け、僕が答えるとまた、それを笑い飛ばすのだ。その渦は、波紋は思ったより早く周りに拡がっていった。
江花は遂に僕が何か馬鹿なこと言ってるぞと周りに伝播し始めた。何も手メガホンを作ることないだろ!。
伝播、電波、デンパはより早くあっと言う間に教室中に広まり、本格的に僕は哄い者になっていく。普段は僕に好意的な女の子達も呆れて見ている。何でやねぇん。そりゃ・、あんまりやわ。
僕は普段こんなに一生懸命に喋ったりしないのに。こんなに関西弁で思ったりしないのに。そう、あの頃の僕はどちらかと云うと無口だったのだ。どうしてもっと信じてくれないんだい。僕は本当なんだ、と言いながらも完全にうなだれてしまった。
そこに、妙なところから助け船が入った。子供にとってはこの程度のことでも地獄に仏の心境である。それほど仲の良かったわけでもなく、それまで黙って聞いていた中島が口を開いた。
「俺、それ信じるぜ。昨日の夜、俺の兄貴が同じくらいの時間に西から東の方に飛んでいく円盤を見たと言っていた。時間も同じ頃だ。兄貴は絶対に嘘をついたりしない。俺は兄貴を信じている。だから、本当だと俺は信じる。」
中島は男らしくきっちり言い切ってくれた。う〜ん、素敵〜格好いい〜。瞳がハート。女ならよかったわぁ・。
どうも中島は信望の厚い小学生だったようで、その言葉で皆は「本当なんだ。凄いな。円盤か・!」と俄然盛り上がり始める。間接的ながらも目撃証人がいた!。ほらみい!。ほんまやんけ、そうやんけ。勉強しまっせ、引っ越しのサカイ。仕事きっちり。全然関係ない。
「どうや、どうや。どうや」とは言わんかったが、僕はほっと胸を撫で下ろしていた。宇宙船のことよりも自分が作り話しをしたのではないと信じてもらえた。もうそれでよかった。中島、有り難う。でも兄弟のいない僕には信頼できる兄がいる中島が羨ましかった。そういえば、2001年6月に30年振りの同窓会で中島にその事を話したが覚えていなかった。残念・・。
あれから、私の視点はいつも人と違う。きっと何処にいても人の何倍も空を見ているのだろう。大都会の繁華街で生まれ育った一人の少年は夜空を眺めながら、星の輝きと同じように澄んだ心で、やがて立派に成長していった。そう今や僕は科学技術庁の特別非常勤スタッフ(賀茶漫科)で、「はやぶさのジョ−」として日夜悪と戦うのでありました。と、虚言癖のある飲み屋のオヤジになったのでありました(^o^)。
輸入会社を経営していた頃、仕事でロスアンジェルスからシカゴに向かう飛行機の中で日系三世のエリックに言われた。
「貴方は変わっているなぁ。窓から下の景色を楽しむ人は多いけど、上ばかり見ている・・。」
げっ、言われて見れば変かな。でも、その志のせいか、他にも2度UFOを目撃していた。その時は僕以外の目撃者もいたので嬉しかった。宇宙には明らかに何かいる。宇宙はとてつもなく広いのだ。
幼少期に植えついた癖は未だに直らず健在のまま。旅に出れば星を眺めます。眺め続けて飽きることはありません。しかし、今、新宿の空にはUFOも星も見えなくなりました。街には高層ビルが立ち並び、遠目には美しい・・。明滅するネオン達は繁華街の象徴として毎日灯り続ける。でも東京の空にはすっかり表情が無くなってしまった。
空に顔がなくなってしまったことも悲しいけど、何よりも悲しいことは人の荒廃を感じてしまうことかな。車道にはタクシーが溢れ、歩道には吸い殻とゴミが舞い、烏が餌を啄む。裸の女性の看板が立ち並び、「おっぱい生揉み」の誘いに、戦闘能力を失った男達は瞬間の快楽に溺れ、少女達は未来の希望を捨て外人に身を任せる。男が弱くなって女性達は変態化してゆくばかり・・。 21世紀、経済至上主義の膿は完全に破裂しまくっている。破裂した後が綺麗に治ればいいのだけれど・・。
何も変わっていないのはこの酒場の町並みと、此処で飲む者達の取り留めもない無邪気さだけだろうか。もしこの街がなかったなら、私にも行くところがなかったかも知れないなぁ。
この街がいつか、アスファルトとコンクリートという上辺だけの厚い化粧だけで覆われた時、大人達が借金に追われ子供を育てなくなり、若者が酒場での触れ合いを必要としなくなった時・・、此処も幻の街となってしまうのだろうなぁ。私はあと僅かな期間、この素敵な酒場街のPRをしていこうと思っています。皆さんにも是非、この街を訪れて色々な人と触れ合って欲しいです。 そして、お店を開いた人達はスタイルではなくて、言葉でお客さんと語り続けてくれれば最高です。先日「Always 三丁目の夕陽」を観ました。観てない方は是非、観て下さい。失われたものがあの中には全てあります。彼女の指に差された指輪・・貴方は見えましたか?。見えたら私の店にも来て下さい。指輪の話しの続きをしましょう。
では、ゴールデン街をこれからも宜しくです。
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