◆ゴールデン街の陽は暮れて◆

−第一話 《ミ ミ》−


 
あれはまだ僕が幼稚園に上がる前のことだったでしょうか・・。我一家は一階に「じゅりあん・それる」というBARの店舗を持ち、二・三階のバラック家屋に住んでいました。

店から三階まで、各階は六畳程の広さしかありません。時々蛇の出る二階は薄暗い台所と三畳ぐらいの部屋、三階には四畳半もない部屋と、一畳程の寝台付きの部屋があるだけで、今思えばなんと窮屈な暮らしだったことでしょう。

それでも、この土地と建物を買い取る以前に比べると遥かによかったのです。元々、此所には朝鮮人の秋田さん親子三人が住んでいて(本名は全く覚えていません)、秋田さんから此所を買い取った後も、彼等は暫く三階に住みついていて、中々出ていってはくれなかったのです。ご主人はかなり優しい人で、大層僕を可愛がってくれた記憶があるので、神経質で短気な父もあまり厳しく「早く引っ越してくれ。」とは言えなかったのでしょう。

いや、昭和の三十年代はまだまだ戦後訪れた平和の余韻が残る、何となくのんびりした時代だったのです。なんせ秋田さん家族との共同生活は半年以上に及んでいたのですから。ようやく、秋田さん一家が出ていってから、二階で川の字に寝ていた僕等も少しだけ、広々とした空間を味わうことが出来ました。当時の建築法に照らし合わせるとゴールデン街一帯は違法建築で、三階はあってはいけなかったのですが、物置とか屋根裏部屋とか称して、当時はみんな三階まで使って生活していたのです。

だから三階の天井はもともと低く、父と母は頭を下げて歩いていました。それでも窓は大きく、隣の家の瓦を炙りながら、強い陽射しが射し込み、春などはポカポカと暖まって、陰気な二階と比べると、それは明るく長閑で、「狭いながらも楽しい我が家」を感じることが出来る部屋が手に入ったのです。

ある春の日、僕はポカポカの三階で、ちゃぶ台の上にあった大盛りのカレーライスをミミと一緒に食べようとしていたのです。背中に当たる陽射しが熱いくらいの日でした。

ミミというのは僕が大事にしていた縫いぐるみの犬です。お座りをした茶色のミミは当時、よくあった縫いぐるみだったような気がします。赤い舌をちょろりと出して、黒目の愛くるしい子犬です。一人っ子でちっちゃかった僕は女の子のように、何処に行くにもミミと一緒だったのです。だから、ミミは結構埃まみれでとても綺麗とは言えませんでした。でも、ミミは寝るときも同じ布団に入り、ずっと僕と一緒だったのです。そんなミミがいつ僕のところにやってきたのかは全く覚えていません。ただ、僕は可愛いミミが大好きだったのです。

ミミがいてくれたからこそ、夜の水商売で共稼ぎの両親が店に出ても、なんとか平気だったのです。兄弟のいない僕には縫いぐるみが最愛の友達だったのです。僕は愛犬ミミをちゃぶ台のカレーライスの横に置いて、大きなスプーンを口に運び、一口食べては、一口をミミの口元へ。一口食べては、一口をミミの口元。一口食べては、一口をミミの口元。一口食べては、一口をミミの口元。ええい!。もうしつこい!。と思うこともなく、にんまりと繰り返していたのでした。

ところが、半分ほど食べたところで僕のまなこは、一点に釘付け。ギョオオ〜!と開いたのです。

幼虫がゴロン。白く、大きく、ぶよぶよ、なのが茶色いルーの中にころがっていたのです。ゴロンと・・。はやりゴロン。間違いなくでかい甲虫の幼虫がゴロンなのです。頭の中では「まっさか〜」なのですが、やはりどうしようもなく大きく白いゴロンなのです。

僕はこ、これでいいのか!?と、いいや、でも、幼い心は「これはカレーの具なのかも知れない・・」と疑心暗鬼な心に捕らわれ、おののいたのですが、結局、食べれるわけないじゃん!と飛び上がって身震いしました。膝が小さなちゃぶ台を蹴りました。いえいえ、軽く当たっただけなのです。ちゃぶ台は少しばかり跳ねただけでしたが、それがいけなかったのです。

ミミちゃん、ジャ〜〜ッンプ!。

パ・・タ・・リ・・。

「あ」

ミミは見事に芋虫カレーの中に口から突っ込んでいたのです。

僕はその奇妙な光景をしばし見つめながら、そんなカレーが好きなミミに腹を立てながらも、ぐふっ、ぐふふ・・と笑ってしまったのです。

しかし、本当の悲劇はそれからやって来ました。笑いも退き、二つの事件にすっかり食欲を奪われていると、騒ぎを聞きつけた母親がのっそりと二階から上がってきました。

「どうしたの?」

「ママ、ミミが芋虫食べたよ」

「あら〜!。まぁ!。こんなの何処から入ったのかしら」

「ミミの口の周りがカレーだらけになっちゃった」

「一体何処から入ったのかしらぁ」

ママはミミのことはどうでもいいようでした。ママは自分の責任の回避場所を捜していたようです。

「一体何処から入ったのかしらぁ」

そんなことはもういいのです。どちらにしたって、わざわざ幼虫がカレーの鍋の中に飛び込み自殺しにくるわけなんかないのですから。

ママはミミを起こすと、芋虫を箸でつまんで皿の脇に置きました。

「もう、食べないの?」

食べれる筈がにゃ〜だろ!。ひょっとすると僕はもう何匹かの芋虫を食べてしまったのかも知れんというのに、でも、そんなことより僕はだんだん悲しくなってきたのです。

ママが皿を持って下に降りていってから、僕はミミの口元を何度もタオルで拭うのですが、ミミの口の周りにあったフサフサとした毛がみるみる醜くママコ状態になっていくのです。ちっちゃなパニックハートには機転が利きませんでした。そう、落ち着いて二階の台所で洗えばこんなことにはならなかったのです。僕は何とか憎いカレーのルーをミミから引き離そうと躍起になって拭いましたが、後の祭り・・。
ごしごし拭ううちに、遂にルーは乾ききって、口の周りは粗目(ざらめ)状態になってしまい、可愛かったミミは醜いノラ犬に変身してしまったのです。

でも、僕はそれでも諦めませんでした。こんな醜いミミはミミじゃな〜い。と、ばかり僕は裁ち鋏を取り出すと、ミミの口の周りのザラザラ毛をみんなぶった切ってしまいました。

そうすると、本当にミミはミミではなくなってしまいました。切ってしまったものはもう後には戻りません。縫いぐるみには毛は生えてこないのです。

それから、僕はミミが少し嫌いになりました。ある日、僕はそんなミミを連れて近くの花園神社に遊びに行きました。あの当時の花園神社はまだパラパラと銀杏の木が点在した土の公園で、僅かな遊具の他には何もなかったような気がします。友達と会って黄金バットの紙芝居を見て、縄跳びや鬼ごっこをして夢中になって遊びました。そして、夕方僕は家に帰りました。

夕飯を食べ終えて、倶利迦羅紋紋のお兄さん達の多い石川湯の銭湯に行って、寝ようとした時、僕はミミがいないことにやっと気が付きました。置いてきてしまったのです!。母親に捜しに行くと言っても、もう店の始まる時間に僕は表に出してもらえる訳もなく、一緒に捜してもらえる訳もなく、僕は怯えながら、眠りに就きました。ミミがどれ程僕にとって大事なものか、わかったような気がしました。

翌日、僕は母親とミミを捜しに行きました。僕は見つかると信じていましたが、母親はもう疲れて、途中で買い物に行ってしまいました。僕は諦めきれず、都電の角筈駅や花園饅頭の近くを彷徨いました。昭和三十年代後半の新宿はそれ程高いビルもなく、夕暮れの街の景色がとても淋しく、全てが終わってしまったような虚しさを覚えて、家へ帰りました。

綺麗に化粧して艶やかな和服を着た母親が「また、買ってあげるから」と、すっかりうらぶれた僕を見て慰めました。でも、僕のミミはあのミミ以外にはいないのです。一体ミミは何処へ行ってしまったのでしょう。僕はそれから暫く一人で布団の中で泣いて過ごしたように思います。布団に入るとミミの温もりを思い出してしまうのです。でも、僕は他のミミを求めることを・・頭到しませんでした。

ミミがいなくなって、僕は一人立ちをすることになったのです。それから少しづつ、少しづつ僕は大人になって、いつしか、ミミのことをすっかり忘れてしまいました・・。

              ・・でも、本当はね、今でも時々思い出してるよ、ミミ。


第一話、ミミの話しはいかがでしたでしょうか?。子供の頃の記憶は年をとる程、切ない思い出になるものですね。久しぶりに書き加えていたら、泣いてしまいました。では、一度お戻りになって第二話へお進み下さい。

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