事件を留めよう。


足利事件再審無罪判決(確定日 2010/03/26)

●2010年03月26日、長い冤罪事件に一つの区切りが着いた。だが、これは法的な区切りに過ぎず、真犯人が見つからない限り、被害者家族にも、冤罪で拘置された菅谷利和さんにとっても真の終わりではないだろう。犯罪者扱いをされ続けた菅谷さんの親族への風当たり、パチンコをしていたことを悔い死のうとまでした父親の苦悩も晴れることはない。一度、冤罪事件が起きるとその被害は何倍にも及ぶ。

1990年(平成2年5月13日午前10時20分頃)足利市内渡良瀬川の田中橋下流約500メートルの葦の藪地で全裸にされた少女の絞殺遺体が発見された。
前日12日午後5時50分頃、栃木県・足利市でパチンコ店勤務・Aさんは娘のマミちゃん(当時4歳)と一緒にパチンコ店「ロッキー」に入った。18時10分頃、Aさんは休憩室にいたマミちゃんから、外で遊ぶと告げられた。これが父親がマミちゃんを見た最後になった。Aさんは19時頃からマミちゃんを探したが見つからず、21時45分頃に栃木県警足利署に届けを出していた。

マミちゃんの死因は手で首を絞められた窒息死、死亡時刻は、父親が懸命に捜し始めた5月12日19時ごろから20時ごろの間と推定された。足利では、79年と84年にも、同様の幼女殺害事件が発生していたが、何れも未解決だったため、栃木県警は、3つの事件は同一犯による可能性が高いとみなし、警察の威信をかけ1年間で延べ3万6千人の捜査員を動員したが、手掛かりは殆どつかめなかった。

この約半年後、91年12月2日、菅谷利和さんが逮捕された。渡良瀬川の中から発見されていたTシャツから検出されたごく微量の体液(精液)が、DNA鑑定の結果、菅谷さんの型と一致したとが決め手となった。逮捕当時菅谷さんは犯行を否認していたが、度重なる警察官からの詰問に堪えられなくなり、誘導尋問に従ったと後に述べている。
栃木県警の捜査員が自宅を訪れたのは前日1日の午前7時頃。「いきなり上がり込まれ『子供を殺したな』と迫られ、女の子の写真を示され『謝れ』と言われました」。その日は知人の結婚式だったが、求められるまま警察署に向かった。署では「やったんだな」「やってません」といった押し問答が夜まで続いた。体液のDNA鑑定結果などを示されてもすぐには認めなかったが、「日は暮れ、心細くなって、このまま家に帰れないかもしれないと思うようになった」という。
気持ちが折れてしまったのは、取り調べが始まって約13時間たった21時ごろ。「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった」。「刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」。容疑を認めたのは、その後だ。後は「何か(話を)作らないと前に進まない」と、報道された内容に想像を交えて、犯行状況を話した。(読売新聞抜粋)

やがて、菅谷さんは1審の公判途中から否認に転じた。この時点でもう救いの神はいないと気がついたのだろう。大人しく気の弱い菅谷さんが終始無罪を叫ぶようになる。しかし・・。
●93年7月7日、宇都宮地裁はDNA型鑑定の信憑性を認めて無期懲役の判決。
●96年5月9日、東京高裁も、DNA型鑑定に加え、自白も信用できるとして、控訴を棄却した。
●97年、弁護団が44本の毛髪鑑定を日大医学部の押田茂實教授に依頼。型は一致しながったが証拠としての採用はされず。
●00年7月17日、最高裁(亀山継夫裁判長)は5人の裁判官全員一致で、日本で初めてDNA鑑定について証拠価値を認め、上告を棄却、1審の無期懲役が確定した。
●02年12月20日、日本弁護士連合が足利事件再審支援を決定、ただちに再審弁護団結成され、同年12月25日、弁護団は再審請求書を宇都宮地裁へ提出、受理された。
●08年2月13日、宇都宮地裁池本寿美子は提出証拠については新規性を肯定することができるとしながらも、明白性を欠くと述べ再審請求を棄却。
●08年2月18日、これに対し弁護士連合は東京高裁に即時抗告。「当連合会は、請求人の無実の声に応えるため、今後も東京高等裁判所で行われる足利事件の即時抗告審を引き続き支援する」と表明した。
●09年5月8日、最高裁が弁護側と検察側双方にDNA型の再鑑定結果は「不一致」と伝える。
●09年5月22日、日本弁護士連合会の宮崎誠会長は東京高裁のDNA再鑑定結果を受け、菅家さんについて「冤罪は明白」としたうえで、裁判所に再審開始、検察に刑の執行停止(釈放)を求める談話を発表した。
●09年6月4日東京高検は、女児の衣服に残った体液のDNA型が菅家さんの型と不一致だったとする再鑑定結果を検察側が受け入れ、再審開始を容認する意見書を東京高裁に提出した。菅谷さんは同日15時45分頃、最高裁判決の確定以後9年、逮捕から17年半振りに千葉刑務所から釈放された。なお、再審開始決定前の受刑者に検察当局が釈放を認めた前例はなかった。
●09年6月17日午後、釈放後初めて栃木県足利市を訪れ、女児の遺体が見つかった渡良瀬川河川敷の現場に立ち、手を合わせて女児の冥福を祈った。菅家さんは約1分間の黙とうの後、「『わたしは犯人じゃないよ。真犯人を絶対につかまえるからね』と女児に伝えた」と話した。
●10年3月26日、宇都宮地裁は、今回の判決で、当時のDNA鑑定について、証拠能力を否定し、自白の任意性は認めつつも、信用性はないとした。判決理由を読み上げた後、裁判長ら3人の裁判官が立ち上がり、「17年半自由を奪い、誠に申し訳ありませんでした」と、菅家さんに向かって深々と頭を下げ、謝罪した。法廷で菅家さんは支援者や弁護団と抱き合い、涙を流した。

ネット上で様々なブログやらコメントを見ると、事件担当者は謝罪はしないでいい、という意見もあった。だが私はその理由がよくわからない。取り調べた橋本文夫元警部は退職しているにも関わらず、公的な問題なので謝罪できないというが、世間の羈絆ともなるべきところに居た人間が、何故、頭を下げることが出来ないのか?。栃木県警本部長までもが直接謝罪に赴いたのに、頭を下げると別な誰かが損をするのか?。誰かに迷惑をかけるのか?。警察の取り調べ官は皆が権力主義だと思われてはしまわないか。寧ろ頭を下げないでいることの方が今後の警察の威信に傷をつける状態になるのである。裁判官は当事者でもないのに、司法としてこの件で菅谷氏に頭を下げた。裁判員制度も導入され、もう過去の権威だけの司法主義は通用しなくなってきているのだ。
やり方に問題があったから、謝るということではなく、惻隠の情として謝ることは後からでも出来る。「今回の事件では、当時私は自分がやっていることは信念に基づいていましたが、当時の結論を遺憾に思うと同時に長く自由を奪い、犯罪者としての汚名を着せることになってしまったことをお詫びします」ぐらいは言えないだろうか?。そう言ったらまた菅谷さんに反論されるのを怖れているのか?、それとも赦してもらえそうもない更なる事実があるのか。
勿論、取り調べの当事者だけでなく、その流れに寄与した人間も同じではないのか。冤罪事件の時はいつもそうだが、強い発言者がいると他は口を噤むような状況になるらしい。「もう一回調べましょう」と誰も言わないものなのか?。もしそんな世界なら捕まって、見込まれたらもう逃げ場がない。私たちは決して、警察や検察は「あんなもんだよ」などど他人事で言ってはいけない。
今現在、猥褻事件も含めどれぐらい拘留されているのだろうか。事は大事件だけではない。以前にも自分の事件を踏まえ、冤罪に関しては書いたが、本当に他人事だと思わない方がいい。冤罪はもっと気軽に自分達の身に普通に降りかかってくる。菅谷さんの時の様に、大勢の支援者や、佐藤博史さんの様な素晴らしい弁護士が付いてくれるとは限らない。日本世論調査会の調査では、回答者の7割が取り調べの全過程を録画・録音する「可視化」を必要とした。私たちは新たな冤罪被害者を生み出さないためにも、自らが巻き込まれた時のためにも、検察や警察の体制を刮目し、問題点は常に声を上げていかなければならない。

(記述日 2010/03/26)



【RETURN 2010】