社会を語ろう。JOEの私見


JOE的「現代・戦争意識と靖国論」

 ●2005年は戦後60年。靖国神社がメディアでもこれほどクローズアップされたことはなかった様に思う。小泉総理による靖国参拝に発する近隣アジアとの外交問題、戦後処理問題、領土問題は、久々に言葉として浮かび上がった右翼・左翼、また同和問題にまで拡がりを見せてしまった。
私も同年ほど靖国に深い興味を持ち、関係する本を読んだが年はなかった。アジアとの関連性、国内の政争の具とされる一面を思うと、一国民である私達も、靖国神社に知識と見解を持っていないといけないと改めて思う。国(政府)同士はどうしても、利権の関わりの中で動く。だが、個人レベルの友好はお互いの理解力に因るところが大きいと私は思う。アジアの幾つかの政府が、日本バッシングすることで国内問題の矛先を逸らしているという一面もあるのだろう。だが、それだけを鵜呑みにして日本人に反感を持つアジアの隣人が増えてゆくことは、将来に間違いなく遺恨を残す。もし一個人としてアジアに隣人と話す機会を得たならば、内向きの主張をするのではなく、ひとつの見解を持ち合わせていることを、しっかりと相手に伝えることが賢明ではないだろうか。

靖国神社に関する基礎知識は同神社のホームページで得られることが出来るが、そこでは隠された全てを知ることは出来ない。ただ、「今月の遺書」は幾つか読んでもらいたいと思う。私は心に若干右派的私見も持ちつつも、過の戦争の肯定論者でもなければ、国粋主義でもない。ただ、戦争の記憶が風化してゆく中、若い人達に兵士の書いた遺書から過去に起こった現実を知り、学ぶための材料となればよいと思っている。その中からは彼等の文章能力や社会性、家族への愛情にも感嘆し、鏡として欲しい。

さて、個人的な見解を纏めてみたいと思う。
一番の問題は中国と韓国を中心とした、かつて植民地であったアジアの国との外交問題であるが、任期終了まであと僅かの小泉首相に今更外交を期待をしても無理なので、時期総理がどこまで靖国神社という存在から逃げ出すことなく、日本人の気持ちを伝えられるかが鍵となる。
ただ、根幹として注意しなければならない問題がある。「靖国神社参拝=英霊への顕彰=内向きの戦争被害者意識=侵略戦争の肯定感=一極化の再燃」という図式が潜んでいる点である。中韓に高まる反日運動を受けた形で、日本がかつての大政翼賛会的な一極思考に陥ることは避けなければならない。
これは植民地化されるまでの戦争で、自国の人間を沢山失った側の国からしたら、恐ろしいでは済まない転回に他ならない。
西洋東洋がまみえ始めた黎明期に、必然的に起こってしまった戦争であったという解釈、つまり白人からアジアを解放するための戦争だったという側面、これを歴史的事象として私個人は全否定することはしないのだが、現実の被害者となった国の人々に通用するような論理ではない。と、いうことを理解しなければならない。
靖国の歴史に軍国主義思想が含まれていたことは否定出来ない事実である。だが、同時に日本人が長年持つ"エイトスとしての神道"からなる神社であることも間違いない。歴史的大事変に於いては当時の人間が反省を出来るようなものではなく、時流に因って起こってしまうものであるのだから、国家的過誤に関しては、やはり現在に生きる私達が「二度と起こさないという」意味合いの反省を求められてしかるべきなのであるし、国外の意見に拘わらず謙虚に反省するべきであると思う。それは決して、反日に対抗してとか、外交的に媚びるという意味ではない。
太平洋戦争は科学の発展によって検証されやすくなり、様々な資料・文献が表に出てくる時代になったが、現代の怖さはそれを精神的に精査していないことにある。日本社会に資本主義的価値観は浸透したが、経済的な勝敗だけが価値を産む社会は日本人に向いているだろうか?。物心共、豊でない人間は恒に不安なストレスを抱え、身内にも他人にも攻撃的な人間が増えているように感じる。だが、鬱憤が国内の問題として取り上げられているうちの犠牲はまだ少ないかも知れない。再び、外に向かいストレスが膨張爆発するという懸念がないとは誰が言い切れるだろうか。傾向として分かり易い例に2005年の衆議院の自民党の圧勝がある。選挙制度の問題があったとしても、ちょっとヒヤリとするような結果ではないかと思わざるえない。

私は総理大臣に限らず、国政を預かる者達はやはり参拝に赴くべきではないと考えしまう。何故なら、政府というものは国を運営する代表者であり、"正当性があったか、なかったか"、"中韓から言われるから"ではなく国として起こした戦争によって、国内外を問わず膨大な死者を出した事実もあり、しかも合祀されている中に多くの一般人が含まれているならともかく、戦争に関わった戦没者達だけが合祀されているわけなので、国会議員がそこに赴くという行為はどうしても「軍属への顕彰という意味合いが強い」と言われる隙を与えてしまうように思います。A級戦犯14人が合祀されているからという問題以前の話しではないでしょうか。どうしても祈りたいのであれば、国政を離れた後に、神前に向かい「世界の平和を安んじることを願い、暫くお伺いできませんでしたが・・」と語りかければ、戦争で命を落とした者達が怒るようなことはないように思います。
更に、基本的に御霊を分祀するということが難しい以上、他の追悼施設を造っても、それは意味をなさないモニュメントに過ぎません。小泉純一郎がいう「哀悼の誠」が純粋なものならば、それを受け次期総理が靖国参拝をするならば、「神前に向かって、静かに真っ先に戦場に赴かなければならなかった戦没者の為に祈っているのです。」そして、「日本人は死者を鞭打つことをしません。」と、日本の神道的な宗教観を理解して貰う説明を徹底的に行うしかないのです。そして、このことを一般国民も理解を深め、アジアの隣人に逃げずに語りかけなくてはなりません。また、同時に日本に過激な右派が存在するように、中韓にも同じ様な人々がいます。しかし、それはあくまで一部の話しであったり、報道による偏りであったりする場合が多い、という冷静な判断をしておかなければなりません。一般国民までも純粋に反日思考に陥っているという現実はないと考えておくべきでしょう。私達はくれぐれもマスコミの情報操作に踊らされてはなりません。

参考資料 「太平洋戦争(文浦史朗)」「早わかり近現代史(河合 敦)」「靖国問題(高橋哲哉)」 「戦争論・沖縄論・靖国論(小林よりのり)」「あの戦争は何だったのか(保阪正康)」「靖国神社の本(宝島)」「HP靖国神社(靖国神社)」「HP教科書が教えない歴史(藤岡信勝)」他
(記述日 2006/01/02)






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