事件を留めよう。


◆御巣鷹山から20年(1985年8月12日、午後6時24分35秒)

●追悼番組を見ました。TBSの「ボイスレコーダー」とフジテレビの「天国にいる我が子へ」の2本。普段は強烈に民放テレビ局を批判する私も、どちらの番組にも泣かされ、20年前のショックと同じく呆然とするばかりだった。ドキュメント形式で作られた番組から際だった新しい事実は掘り起こされることはなかった。ただ、そこには当事者(犠牲者と遺族)と第三者との天国と地獄の開きを感ぜずにはおけないものがありました。私達は何時、どんなことで当事者になるか判らないのです。私はこの事故も決して風化させたくはない。そういう意味で今回は節目として取り上げてくれた制作者にエールを送りたいと思います。

1985年8月12日、午後6時12分羽田発、大阪行きの日本航空123便(ボーイング747SRー100 型 JA8119号機)は、離陸12分後の6時24分35秒、機体後方から激しい爆発音をさせ垂直尾翼部分を崩落させた。
その直後、高浜雅巳機長(当時49歳)が「なんか爆発したぞ」と言い、その3秒後に機長は「スコーク77(異常発生)」を発っする。操縦室のクルーは異常な警報音や警告灯、計器の表示などに対処する作業に忙殺されていた。しかし、操作の甲斐虚しく、既にJA 8119 号機は全ての油圧力を失い完全に操縦不能の状態になっていた。
管制塔に「アンコントロール(操縦不能)」を報告。事故が発生してから31分48秒後、同機は操縦不能の絶望の中、飛行を続けたが、6時56分23秒、群馬県上野村・御巣鷹山の樹木と接触し、尾根に激突炎上した。

実際にはこれほど単純な状況ではありませんが、細部に至っては20年経った現在も沢山のHPが残っているので、参照して頂きたい。この事故で乗員15人・乗客509人のうち、乗員520名が亡くなり、奇跡的に4名の女性が生き残った。当時、この中の生存者の川上慶子さんがヘリで救出されるところは、闇の中にひとつの光明を照らすごとくに映りました。また後からは幾つかの遺書も発見、もっと沢山の人の遺書はきっと燃えてしまったのでしょうが・・。

運輸省事故調査委員会は、ボーイング社が事故機の後部圧力隔壁の修理ミスを認めたのを受け、これを事故原因と推定した。事故は遺族・ジャーナリスト・パイロットから出された沢山の不可解な指摘を内包していました。しかし、この事故で、日航・運輸省・ボーイング社の誰一人も起訴されることはなく、再々審まで行っても嫌疑不十分は変わらず、この国内最大の飛行機事故で裁かれる者はいませんでした。

既に消却されていたと思われたボイスレコーダーが公表されたのは2000年。私はそれまでに読んでいた書籍では既にクルー達の死闘を十分に感じていましたが、映像情報を加えたレコーダーのテレビという公開によって機長以下、クルー達の必至の努力が公然とされ、遺族は元より一般の私達も感動をさせられました。心ある人間達によって一部の書類もコピーされて残されていたらしいので、この事件は更に風化されることなく、意義を持ってゆくでしょう。

世界では悲しい出来事が毎日起こっているわけですが、2001年に起こった同時多発テロ以前では、この事件が私にとって一番強烈な悲しみを与えました。終日、報道の番組は行われて、自分は呆然と眺めていたのを覚えています。また、この事件はささやかながら、私にも若干の関わりもあったわけです。この年、私は既に旅行会社から足を洗っていて、貿易関係の仕事をしていました。まだギリギリ、サラリーマンだった頃です。事件は新宿のマンションで知ったと思います。ニュースも見ていまし たが、夜八時過ぎ、無二の親友で飯塚の西鉄旅行代理店に勤めていた Mから電話が入りました。 「いや、驚いたよ・・」 当然墜落事件の件でした。多分最初は乗員が絶望だと思われていたのです。真夏の大きな衝撃でした。 「驚ろいたな」と私が返すと・・。

実は彼も123便に予約が入っていた一人だったことを、話し始めたのです。ある企画ツアーの添乗補佐として、同行する予定が、客からの直前のキャンセルとなり、乗らなかったと語りました。 彼は自分達の変わりにキャンセル待ちで乗った乗客のことを思うと、自分に起きた奇跡を素直に喜べない、と言っていました。本当にその通りの心情だったのだと思います。

更なる私の周辺に関係する出来事として、実はこの日の夜にA新聞社の記者達に誘われて当時、中曽根内閣で官房長官を務めた加藤紘一議員が私の旧店に来ておりました。これは当然全くの偶然です。 大勢の記者達とSPに囲まれて飲んでいた官房長官の元に連絡が入り、一同は大挙して引き上げました。(前店主談) 事故が起こったのが7時、当店の開店時間が7時。9時前までには皆 が引き上がったという記憶らしいので、それなりに動きは早かったの かも知れません。場所が特定出来ずに永い夜だったことでしょう。

私は仕事の関係で、これまで100回以上は飛行機に乗っていると思います。一度韓国からの帰りに、ダッチロールに近い状態を1時間程 味わい青ざめたことが有ります。並の恐怖ではありません。亡くなられた方々も、命を落とされた無念もあるでしょうが、あれより凄まじいダッチロールとフゴイドの恐怖を味わっていたことを考えると、本当に辛い気分になります。

今回のドラマを踏まえても、真実は未だに御巣鷹山の霧の中です。日航機は今、危険な状態になりつつあるように感じます。 パイロットがどれ程人格者で素晴らしい人間であっても防げない事故の方が多いでしょう。トータルバランスを失いつつある現在は、不気味です。 世界で起こる事故の中には不可抗力もきっとあるでしょうが、福知山線の様な見えない人為抗力によって狂ってしまうことだけは避けたいものです。ハインリッヒの法則が現実にならないことを祈りたいと思います。

「どんといこーや!」事故の寸前機長が口にした言葉です。一体どういう思いで言ったのでしょう。私は専門的なことは判りませんが、この単純な一言に泣いてしまいます。私は涙脆く、感情過多な人間である。でもそれで良いと思っているし、それが普通であると思っています。今日日の世の中は、悲しむ人間に冷たい時代になった様に思います。確かに亡くなってしまった人に何が出来るわけではないし、悔やんでも仕方のないことである。だが、人の悲しみに涙を流さない世の中になっていってることは恐ろしい。悲しむという感情は自分のためだけではなく、他人にも適用しているのから泣くのだと思う。他人の死が無意味な死でしかなく、相互の平和が守れる共振性が失われるなら、それは果てが近い世界のように感じてしまう。私は情けない奴だと言われてもいい。戦争・事件・色々な出来事で亡くなってしまった人達に対しても普通の人間として見つめてゆきたいと思います。
   
(記載日 2005/08/12)





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