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◆地下鉄サリン殺人事件(発生日 1995/03/20) ●もうあれから10年の歳月が経ってしまうのか。成人したばかりの若者達にこの時の記憶がどれだけ残されているだろうか。はて自分もこの一報を何処で知って、いつ最初の報道に触れたのだろう。もうその辺りの記憶はない。しかし、兎に角相当驚愕したことは間違いない。兎に角鮮烈な「何だ?」だった。夕方のニュースはこの報道で終始していたように思う。 1995年3月20日午前8時過ぎ、「地下鉄サリン」事件は発生した。営団地下鉄の日比谷線・千代田線・丸の内線の3路線、5本の電車にサリンが撒かれた。通勤客、駅員など12人の方が亡くなり、最終的に約6千人の重軽傷死者を出したという大惨事だった。確か親戚か友人か何人かが電話を掛けて来たように思う。既に貿易商から飲食業に代わっていた自分は自宅で眠りに就いていたのを起こされたような記憶がある。そして報道を見て眠気が吹っ飛んだ。余りに衝撃的で言葉を失っていたように思う。当時、この何やら撒かれたというものが、サリンであるとは報道されてなかったと思う。この事件のたった一年前には8人の死者を出した松本サリン事件が長野県松本市であったというのに、人は喉元を過ぎると忘却著しい。 全く何か分からない液体。ただそれが気化しやすい毒ガスであることはすぐにわかったようだ。液体が撒かれた地下鉄駅構内は何れ大パニック状態となり、その様子はうずくまる人々の群れからも容易に想像できた。 昔の営業の同業者が巻き込まれているからも知れない。しかし自分の知人に巻き込まれた者はいなかった。そして、まだ自分が貿易業をしていたなら、これらの路線は頻繁に営業で使っていたので巻き込まれていたとも考えられる。後から身震いがした。 この事件がオウム真理教によるテロ行為だと分かったのはどれぐらい経ってからのことだったろうか。最初の段階では危険性が分からずに助けに行った人たちが大分巻き込まれた。東京のオフィス街は戦場と化した。後に聖路加病院の医師達の奮闘ぶりを特集で見たが、医師達の素晴らしさに胸を打たれた。彼らの存在は大きな闇の中の大きな光の様に感じた。 当時サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、信州大学医学部附属病院教授の柳澤信夫氏はテレビで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に酷似していることに気付いた。その対処法と治療法を東京の病院にファックスで至急送信して、適切な治療の助けとなった。また自衛隊中央病院から駆けつけた医師が、直前の幹部研修において化学兵器対応の講習を受けており、現場派遣時とっさに研修資料を持ち出して聖路加病院に到着し研修の内容資料と患者の様子から化学兵器によるテロと判断し、硫酸アトロピン(PAM)の使用を進言したのも早期治療に繋がった。後にわかることだが、純度が高いものが使用されていたら死者は数千人以上出たと推定されたという。 事件後から新聞も一般紙・スポーツ紙・週刊誌までがトップににオウムやサリンの記事を持ってくる日が殆どだった。過熱報道は教団の教祖である麻原が逮捕される日まで続いた。しかし、この事件の報道はどれだけ長く見ても決して飽きることはなかった。美しい富士山麓の上九一色村にあるサティアンという宗教施設で繰り広げられていた数々の恐ろしい現実。やはり、麻原が築き上げた化け物の様な組織はメディアによって、その全貌が日々暴かれてゆく。そしてその全貌とは社会の歪みであるということが分かってくる。 そして幹部を構成していた者の大半が高学歴だということが分かってくる。そこに起こる何故はそれほど難しいとは私は思わない。彼等は決して宗教を求めていたのではない。それでもいいんだよ、という言葉を求めていたように思う。実はもうこの時代から現在私たちが感じる地域社会が崩壊したことによるツケが生み出されたいたのだ。親身な人間がたった一人彼らの周りにいれば彼らも、怪しい宗教の許へと走ることはなかったろうに。麻原は自分の体験からも社会の冷徹さと、個人の弱さをよく知っていたのだろう。それが彼が教祖として君臨出来た恐ろしい才能なのだと思う。 彼らの中でサリンは革命のひとつの道具だったのだろう。どう考えてもこれをすることで得られるメリットは感じられない。それはまるで駄々をこねた子供が持っていたアイスを放り投げるようなものだ。 2004年2月27日、7年に及ぶ裁判で麻原彰晃(松本智津夫)に死刑が言い渡された。 しかし、この事件に巻き込まれ亡くなった方の魂は麻原の死によっては報われない。大人を正しく大人にする社会。そして、人を見る温かい目がこの時代には必要だ。要求と要望だけが叛乱しても、逃げ口がない。人には時々脇道に逃がしてやる寛容さも必要なのだ。オウムの知恵者達は知識を得ていたが、智恵は学びとれなかったようだ。智恵は人が授けるもののように思う。おばあちゃんの知恵だ。智恵なき世界は更に恐ろしくなる。私はそう思う。多少面倒でも人同士はもっと摩擦しながら磨きあげられてゆくものだから。そこを取り戻せる仕組みがいる。しかし物が支配する世界からの離脱にはまだまだ犠牲が付き纏うのかも知れない。 (記述日 2005/03/20) |
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2003/10/02放送 フジテレビ「実録!あの歴史的重大事件と闘った医師たち」 2005/02/08放送 NHK「プロジェクトX・地下鉄サリン事件救急医療チーム最後の決断」 この両方を見たら、地獄の中に神を見いだせることが出来そうです。 番組をフォローしているHPがあったので、一読されてみて下さい。 (2007/03/20追記) |
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2006年9月15日、最高裁判所は特別抗告を棄却し、1審通り麻原への死刑判決を言い渡した。 2008年11月10日付けで、松本死刑確定囚の家族が東京地裁へ再審請求した。 2009年3月17日付けで、東京地裁(高橋徹裁判長)は再審請求を棄却する決定を出した。 2009年7月8日付けで東京高裁(矢村宏裁判長)は次女が出した抗告棄却。 麻原の死刑はまだ執行されてはいない。地下鉄サリンに関わったオウムの幹部の一部は未だに逃走したままであり、事件にはまだ不明なことも多い。 (2009/10/26追記) |