事件を留めよう。


桶川女子大生ストーカー殺人事件(発生日 2004/10/26)

●1999年(平成11年)10月26日午後0時53分頃、埼玉県桶川(おけがわ)市若宮1丁目にあるJR桶川駅西口ロータリー付近の東武ストア「桶川マイン」1階入口から10メートルほど南側の所で、何者かがナイフで若い女性を刺して逃走。刺された女性は桶川市泉台に住む跡見学園女子大学文学部国文科2年生猪野詩織さん(21歳)。左胸と右脇腹を刺され、救急車で上尾(あげお)中央総合病院に運ばれたが、大量出血により亡くなった。

 詩織さんはこの日、午後の講義に出るため午後1時近くに、自転車で自宅を出て、桶川駅から電車に乗り、新座市にある大学に向かう予定であったが、桶川駅で自転車を置いた直後に襲われた。

当時はかなり話題になった事件だった。当初は大きな偏重報道もあり、少し素行の悪い女子大生が何か問題を起こして殺害されてしまったような報道もあった。しかし、日を追うことによって、報道の内容は修復されていった。ひとりのジャーナリストの疑問によって、男女の別れの縺れに依る犯行と片付けられず、その内容が警察の大失態を暴きだすことになった。

 そして、次々と現れる新事実に、犯人の粗野な人間像や、彼の兄である消防士が同僚に知られることもなく、ファッションヘルスを多数経営していたりしたこと、また殺人が代理人による殺人だったことなど、注目が膨れ上がっていった。

 初めの交際はごく普通の様だったが、徐々に小松和人は詩織さんを意のままにしようと、金品を押し付けたり、頻繁に連絡をしたりと、交際後も大分しつこくしていたようだ。
 ある日、部屋に和人の部屋に行った時、ビデオカメラが仕掛けられていたことを不審に思った彼女がそのことを問うと、和人は豹変し、それ以降、不信と不安を募らせた詩織さんは別れを求め始める。しかし、和人は脅しを強め、詩織さんは身の危険を感じるようになっていった。

 正直言ってここまではありそうな話だ。どんな関係であったにしろ一方の思いが断たれていなければ、ことは複雑になりがちだ。が、まだこの時代、ストーカーで人が殺されるという認識までは社会にも薄かったのである。

 事件の概要は更にわかってきて、3月には友人に相談していたことや、和人にも別れを訴えながらも家族への危害などをほのめかされて、別れることが出来すにいた事実なども判明。5月には誕生日プレゼントのローレックスの時計の受け取りを拒否。彼女なりに必死だったことがわかる。そして6月に池袋構内の喫茶店で毅然と和人に別れを切り出した。しかし、その夜、短髪パンチパーマ・小太り・金のネックレスを見につけた兄の武史が、夜になって詩織さんの家におしかけて恐喝する。父親が帰っても恐喝は続いたが、間もなくして引き上げる。この時の恫?は録音されており、翌日警察所に持ち込まれた。

 さて、問題の本質はここからである。結局、2日にわたる相談にも警察が出した判断は民事不介入だったのである。あくまで男女間のトラブルの範囲だったのである。確かにあの頃はまだそんな風潮で通っていたようにも思えた。親が伴って直訴してもまだこの手の判断しか下せなかったのは当時ストーカーなのものの本質がまだ判り兼ねる時代のせいでもあった。しかし、何故、本来は危機意識を持つべき警察において、これほどの切実な訴えに上の人間が聴取をしなかったのだろうか。まさにこの時、警察が親身に強い態度に出ていたら状況は少し変わっていたかも知れないのだ。

 特集のような連日の報道で事件が更に詳らかになる。そして当然この事件が男女間の問題など片付けた警察の失態が歴然となってくる。当時、警察が介入したことを知った兄弟は、合成と思われる彼女の裸のビラ配布、インターネットによる中傷、家族の状況を貶める内容のチラシ頒布などと、悪辣さが日を追うごとにましている。それでも警察は動かなかったというのである。現物まであるのに、「恐喝ではない」という判断をし続けたのは、これは警察もグルか金品を貰っていたと思われても不思議ではない。まさか、警官たちも武史の経営していた風俗で恩恵を受けていたのだろうか・・。

 7月末になって漸く警察は被害届を受理するが、捜査状況の確認に警察はまともな回答を出さずにいたようだ。更にこの兄弟を中心とした脅迫行為は、武史の店の人間まで取り込み、詩織さんの家の前でカーステレオによる爆音を奏でたりと好き放題である。そんな状況がありながらも、警察はまだ被害届や告訴状に対して不誠実に対応していたことが報道の追及で分かってくる。(もうその内容たるやこのスペースでは書ききれないほどであるので、事の時系列はリンク等でご確認願いたい。)

 そして10月、金で動かされた久保田なる店員が遂に、詩織さんを殺害するに至ってしまう。途方もなき、警察の為体である。この事件を通して、警察を弾劾せずして詩織さんが浮かばれることはないだろう。警察の失態はこれに留まらず、主犯である和人に逃亡され、自殺されてしまうという落ちを迎えてしまう。

 この事件は今は少し誠実さを取り戻したように見える警察に対して、決してひとつひとつの案件を成績ではなく、蔑ろにすることなく立ち向かってもらうことを忘れないために書き残したいと思う。詩織さんの死が警察が齎した怠惰であったことを肝に銘じて欲しい。この事件はご両親の絶え間なき訴えとマスコミによって大きく報道されたことによって、2000年11月に「ストーカー規正法」が施行されることになった。

<桶川ストーカー事件国家賠償訴訟を支援する会> 

(記述日 2004/10/26)




 2005年1月26日、「国家賠償訴訟」の控訴審で、双方の控訴を棄却。遺族やその支援者を落胆させる結果となった。
 2006年3月31日、加害者やその家族に対し「損害賠償請求訴訟」の判決で、さいたま地裁は約1億250万円の支払いを命じた。
 2006年8月30日最高裁は「国家賠償訴訟」において、捜査怠慢と殺人の因果関係は否定し慰謝料550万円の支払いのみを命じた。
 2006年9月5日、最高裁第2小法廷は小松武史の上告を棄却、無期懲役が確定する。

この事件に関係した警察官は懲戒免職を含め、減俸などの処分を受けることになった。思うのは、もしこの裁判が裁判員制度で裁かれることが出来るとしたならば警察官達の処分は更に厳しいものになったに違いない。しかし、当然被告ではないから裁かれることはないのだろうが。ご両親の努力に敬意を表すと共に、この事件を風化させないように微力ながら此処にも記すこととする。
 (2009/10/26追記)




【RETURN 2004】