社会を語ろう。JOEの私見


佐世保・カッター小6殺人(発生日 2004/06/01)

●・・・、やはり私は怖い。いや、小学生の娘が友人を殺したことではない。今、私達の国は終戦後、経験したことのない治安危機の中にいる。犯罪の内容は多様化し、短絡化し、残酷化し、低年齢化し、猟奇化し、無動機化し、命の重みは日々のニュースの中で凄い早さで軽量化してゆく、宮崎もオウムも、酒鬼薔薇も、宅間もやがて、記憶から消えて行ってしまうのか。私は毎日のニュースを見て「怖い世の中になったもんだ」と唸りを上げてしまう。
 報道番組によるアンケートでは「治安が悪くなった」という認識が大半なのだが、どうも他人事の感じだ。「うーん」と唸って過去の平和を懐かしむだけの先人達や、「そうだよな」といいながら話題を変えてしまう同世代、「犯罪増えてるんですか」と問う無頓着な若い世代・・。
 店に来てくれるお客さんは安らぎを求めて来ている。余りヘビーな話しは酒席では嫌われるかも知れない。また私物化するわけにもいかない。だから、ついつい「どう思う?。」の質問を避けてしまう。だが、本当はとても訊きたい。
 もし、私にこのネットという世界がなかったら憂いは更に深くなって私を苦しめたと思う。この事件自体がネットのチャット上での悪口が動機ということのようだが、私はネット上で同じ不安や懸念を感じている人達を発見してホッとする。2チャンネルの様な余りに愚かで無責任なサイトもあるが、まともな人達を沢山発見出来る場でもある。ネット世界も決して捨てたものではない。本当は問題を感じている者達がオフ会をやって同じエネルギーで社会を動かすべきなのだと思う。いつかその夢は実現したいと思う。
 さて、事件に触れていきたい。6月1日、午後0時45分頃、長崎県警に佐世保市東大久保町の大久保小学校で6年生の女児が同級生の女児に「カッターでやられた」と110番通報があった。ほぼ同時刻に同小学校から「児童が出血をしている。救急車をお願いします」との119番通報もあり、救急隊が急行。被害者は既に心停止状態だったため、搬送されなかった。午後2時すぎ、6年生女児の死亡を確認した。亡くなったのは6年生の御手洗怜美(みたらいさとみ)さん(12)で、同級生の女児(11)からカッターナイフで首などを切られ、出血多量で死亡した。長崎県警は同級生の女児の身柄を確保し、切り付けたことを認めたため補導。殺人事件として調べるとともに同日夕、児童福祉法に基づき、非行事実を同県佐世保児童相談所に通告した。
 同夜は加害女児の身柄を県警が佐世保児童相談所から委託を受け一時保護した。女児は反省している様子で「すまないことをした」「ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を見せていた。
 大久保小は各学年1クラス。同市教委などによると、二人は5年生のときは同小のミニバスケットボール部に所属。日記を交換したり、パソコンでチャットを楽しんだりするなど仲が良かった。
 御手洗さんは同市天満町の毎日新聞佐世保支局長、御手洗恭二さん(45)の長女。午前中の授業が終わった後の給食準備中、御手洗さんは加害女児から6年生の教室と同じ3階にある学習ルームに呼び出され、椅子に座らされた後、後ろからカッターナイフで頚動脈や左手首など数カ所を切られた。同日は午後0時35分から給食を食べ始める時、担任教諭が二人がいないのに気付いた。間もなく加害女児が血まみれで、カッターナイフを持ったまま教室に戻り「私の血じゃない。私じゃない」と叫んだという。
 女児から話を聞いた担任が学習ルームに行き、血まみれで倒れている御手洗さんを発見。教頭が通報。学習ルームは普段から鍵はかかっていなかった。カッターナイフは加害女児が所持していた物で、県警が押収した。
 佐世保市教委などによると、加害女児と御手洗怜美さんは昨年4月、同小のミニバスケットボール部に入部。5年のときにそれぞれ退部したが、交換日記をしたり、パソコン上でチャットを楽しむほど親しかった時期もあったという。
 報道陣から事件の背景について心当たりを聞かれた怜美さんの父、恭二さんは「本当に見当もつかない。女の子の気持ちをどこまで分かるかということもある。だが、ふだん学校のことや友達のことを話してくれた中で、誰かと喧嘩しているとかは聞いたことがなかった」と悔やんだ顔を見せた。佐世保市教育長は児童間に確執があったという報告はなかったと説明。大久保小の6年生の複数の保護者も「2人にトラブルやいじめがあったとは聞いたことがない」と口を揃えた。一方で、ある母親は、補導された女児について「最近荒れていた様子で『むかつく』とか言って教室の壁をけったりしていた、と子どもから聞いた。二人の間に問題があったというより、突発的な何かがあったのではないか」と推測された。しかし、長崎県警では加害女児は怜美さんを誰もいない学習ルームに呼び出し、しかもカッターナイフを準備しており、計画性も窺えるとコメントした。
 「今でも何が起こったのか理解できない。私の周りに怜美がいないことはありえないことです」恭二さんは1日夜、佐世保市役所での記者会見で記者会見を受けていた。視線を落としながら苦しそうな表情ながら質問には明確に返答していた。恭二さんにとって怜美さんは唯一の女子で、3人兄弟の末っ子。母親は2001年9月、癌で亡くなり、恭二さんがひとりで子供達を育ててきた。
 学校から連絡を受け、現場に駆け付けたときの様子については「怜美が倒れていた。自分の目に映っているものが嘘だという感じしかなくて…」と時折、唇をかみながら話した。
 怜美さんとの最後の会話は、登校前の午前7時20分頃。「慌てて登校していったので、洗濯をしていた私が『忘れ物はないのか』と聞くと『ない』と答えた。横を通り抜ける足音だけを聞いた。後ろ姿も見ていないんですよ」と無念そうに語った。
 加害者の女児については「同じ学年の子供だし、落ち着いたらきちんと話して欲しい」と感情を押し殺しながら話した。
 緊急に記者会見を開いた理由について恭二さんは「お話しできる内容は何もないが、要請があり応じた。私が逆の立場ならお願いすると思う。簡単にでも答えなければならないと思った」と報道人としての義務感からだったことを明かした。(西日本新聞参照)

 私は恭二さんは立派な父親であり、大人であると思った。それは記者会見が物語っていた。記者としての立場、大人としての我慢、悲しみを呑み込み、普段と逆の立場をわきまえて、途絶えない質問に答えていた。私と殆ど同年齢で深い同情を覚える。自分が同じ立場であったら、とても彼の様に冷静ではいれないに違いない。どうして、こういう人に不幸が襲うのだろうと、人生の無常を感じないではおれない。
 辛い事件だが、やはり新しい事件の特異性について検証しなくてはいけない。二人は仲が良かったが、「怜美さんのインターネットのホームページへの書き込みに腹が立って呼び出した。殺すつもりがあった」という趣旨の話をしていることが分かった。女児は5月下旬ごろに自分のインターネットの掲示板に御手洗さんから容姿や性格についての悪口を書かれた、やめてほしいと言ったが、やめてもらえず、いやになったと証言。その後、5月28日ごろに殺そうと決意したと話しているという。
 補導された女児は今年3月ごろから「急に変わった」と複数の関係者が話している。「とっとと帰れ。お前、うざいんだよ」と同級生をののしったり蹴ったり、カッターナイフの刃をちらつかせることもあったという。元気で明るかった女の子に変化が起こっていた。熱心に練習に励んでいたミニバスケット部を今年2月に退部して、6年になってからも異変は続き「自分の頭を壁にぶつけることもあったらしい」。発散先がなくなり、気持ちが荒んできたのだろうか?。直接の原因は未だに判らないが、間違いないのは、マスコミの論調がネットモラルの問題に話しをすり替え始めたことだ。ネット上にモラルが必要であることは間違いない。だが、新しいものが出てきた時は必ずリスクがついているということをもう大人達は理解しているはずなのである。かってはテレビだって教育上良くないとボロクソにやっつけた時代もあった、電話もそうだし、携帯電話もメールそうだ。多分これからはテレビ電話殺人とか、衛生通信殺人とかも起きるのだろう。可哀想に世の中で便利なものは先ず先制攻撃の対象だ。そして世の中に浸透するまでは悪の権化として扱われるのだ。そうではないだろう。
 私達人間の周りにあるものは殆ど道具である。鋏もカッターも道具である。例えばピンセットでも本気なら喉に突き刺して人を殺すことは出来るだろう。私達は道具に責任を転嫁しては絶対にいけないのだ。一時をそれで済ましてしまっても、道具は次から次へと現れ、便利とリスクは常に表裏一体となっているのだ。
 問題は小学校6年生の加害者女児が容姿に拘っていたことではないのか?。それは何よりも見た目が大事という世の中が創り上げられつつあるからではないか?。大人達は子供達に自信を持って制約を課せばいいのだ。子供がちゃんと子供をやれない今の時代は大人が大人になっていないことから生まれて来ている。繰り返してこの場で言っているが、無責任でも平和で入れる時代は終わったのだ。
 放置した責任が必ず自分の身に降りかかる時代である。それはある意味では正常である。見て見ぬ振りを決め込んだ自己保身の被害が先ず子供や老人達に降りかかっている。
 私達は大人と子供を分けるアメリカ並の規制が必要である。私が住んでいる歌舞伎町という所の怖さは、客を引き込もうとしているポン引き達でも、暴力団でもない。昼間でも子供達の目に入る相当にどぎつい猥褻な看板や、チラシがそこら中に散らばっている現実である。ネット上にも、本屋にも、ゲームにも同じ世界がある。要するに無秩序なのだ。全ての問題は大人達の「放漫」である。この事件も特異性では見てはいけない。秩序と教え、心情を感じさせる社会を創る努力が必要なのだ。
(記述日 2004/07/10)





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