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◆イラク外交官死の真実は(発生日 2003/11/29) ●2003年11月29日(現地時間)、イラク北部、ティクリット南方の路上において日本人外交官2人とイラク人運転手が何者かに銃撃され殺害された。遂にイラクにおいて日本人の死者が出たことでマスコミ各社が報道を開始した。 殺害された奥克彦参事官の当時の肩書は「駐英日本大使館参事官」で、4月にイラクに着任し、復興人道支援会(ORHA)で英国陸軍将校の代理人として国際支援を担当していたという。ORHAはイラク人、特に親フセイン派から見れば、米英軍の占領統治の象徴的組織でもあり、その許にあった日本人外交官がテロの目標となるという推測は十分に成り立っていた。当初、外務省は3人が現地のテロリストか、イラク兵の残党により襲撃されたのは「午後5時頃」と公表した。しかし、その報道内容は初めから歯切れの悪いものだった。外務省からの発表後も様々な情報が錯綜し始めた。地元警察からもたらされた情報では「午前11時」説や「午後1時」説も伝えられていた。 米軍からの情報とされている「午後5時」説には、奥参事官一行がティクリットで開かれる復興支援会議に出席するためにバグダッドを出発したのが午前10時頃であり、現場はバグダッドから僅か100キロの地点であり、出発から半日もかかった理由か判然としない。 3人の死亡時刻も関係者の話が食い違っている。米軍のスポークスマンは、「奥大使一行が水や食料を買うため沿道の売店前に車を停めた際、小火器で撃たれた」と説明したが、病院に搬送した地元警察は、井ノ上書記官と運転手は即死、奥参事官は発見当時まだ息があり、病院で死亡したと証言されていた。ところが、外務省の発表では、両氏は車の中で遺体で見つかり、運転手は意識不明の重体で病院に運ばれたことになっていた。 朝日ニュースター「パックインジャーナル」のコメンテーターの田岡俊次氏は早くから、二人の外交官に打ち込まれた弾丸の入射角度や、銃弾の種類、車両の位置関係に矛盾を唱えていた。第一発見者の目撃証言が報じられると、米軍による誤射説や米軍が一行が襲撃される現場にいながら救出せずに先を急いだのではないか等という推測が真実味を帯びてきてしまう。 結局、奥参事官、井ノ上正盛三等書記官とジョルジース・スレイマーン・ズラ運転手の三人の死は事件から1か月近くが経とうとしているのに、真相は未だに不明確だ。。 亡くなった二人は後に二階級昇進し、奥大使、井ノ上一等書記官となる。奥大使は4月から亡くなる前々日まで激務の合間を縫って、イラク復興の現場での思いを日本国民に知ってもらいたいと、「イラク便り」なる報告文を71回に渡って書き綴っている。日本では田中真紀子の外務省伏魔殿発言以来、外務官僚達の思い上がりが世間を騒がせていたが、現場の外交官は使命に燃えて努力されている人達がいることを知り、少し救われた気持ちになると同時に心からその死を悼みたいと思う。残念ながら今に至って私は「イラク便り」を読んでいないが、本になるという話しもあるので、その折には是非読ませてもらいたいと思う。 そしてもう一つ、全てを官僚・役人の責任に転嫁し始めている政府が国民に見せない闇の顔を持ち始めていることも決して忘れないでいたい。彼等は二人の死を闇に葬っただけではなく、様々な真実を知りながら葬ろうとしている。 (記述日 2003/12/25) |