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◆フリージャーナリスト殺害(発生日 2003/09/12) ●東京都江東区の東京港で9月12日午前7時ごろ、フリー・ジャーナリスト染谷悟さん(38)の刺殺体が浮いているのが見つかった。遺体は背中を8カ所刺されて殺されており、ベルトにダイバー用の重り8個(約16キロ)が装着され、約6キロの鎖が巻き付けられていた。警視庁東京水上署捜査本部の調べで遺体が投げ捨てられたとみられる岸壁は、普段はセメントを積んだ船の接岸に使われており、一般の人はほとんど立ち入らない場所だったことが分かった。 染谷さんは今年1月には、ベランダのフェンスが壊される被害に遭ったほか、4月にも玄関のドアが開かないようドアのすき間に物を詰められたり、窓が割られるなどの嫌がらせを相次いで受けていたことが判った。また、昨年9月には当時住んでいた豊島区のアパートで空き巣被害に遭い、カメラやレンズ、パソコンなど77点を盗まれていたことも判明した。 染谷さんは「柏原蔵書(かしわばら・くらがき)」の名前で活動するフリー・ジャーナリストで、外国人犯罪組織、援助交際事情など「裏社会ネタ」が得意だった。東京・歌舞伎町の裏側を描いた「歌舞伎町アンダーグラウンド」を出版した7月頃には「中国人に命を狙われている」ともらしていた。最近は取材や金銭上のトラブルもあったためか短期滞在マンションを転々としていた。。(以上、各新聞社より抜粋・要約) 実は遺体発見直後、私のところにも染谷氏の最近の動向を知らないかと仕事仲間という人から問い合わせがあった。どうやら、その人曰く、私が経営しているゴールデン街の店にも飲みに来ていたらしいのだ。私自身は店を任せているので顔写真を確認しても、話したことがある人物か判らなかったが、ゴールデン街には専属・フリーを問わずジャーナリストの方が大変多いので、当店で飲んでいたとしても不思議はなかった。また、後に染谷氏は私の麻雀仲間の知人であることも判った。 当初、「歌舞伎町アンダーグラウンド」は有名だったので、中国マフィアによる犯行説がささやかれていたが、実は昨春出版された彼の著書「鍵の聖書・鍵と鍵屋の選び方」をめぐって、複数の“鍵業者”と金銭トラブルを起こしていたことが判明してきた。その後の調べで、失跡直前の9月4日未明から豊島区池袋のホテルで写真取材し、9月5日夜、週刊誌『SPA!』の編集者との電話を最後に連絡が途絶えていた。6日午前0時過ぎまでは豊島区池袋2丁目の飲食店に1人でいたことが判ったが、染谷氏を捜していたという男達と遭遇していた目撃証言を最後に消息が途絶えていた。6日朝、JR池袋駅近くの路上でカメラが見つかった。また失踪後には本人名で雑誌編集者に「旅に出ます」と不審なメールが届いていたことも判った。 数ヶ月の捜査の間に警視庁は鍵業者の熊本恭丈(31)と藤井亮一(34)の2人を死体遺棄容疑で逮捕していた。そして、11月23日、刺殺事件後の9月下旬、染谷さんの知人ら数人に「俺は事件とは関係ない。余計なことを言うと、中国人に殺させるぞ」などと脅迫電話を掛けていた元錠前技師養成学校長の木原武士(42)も逮捕された。3人はいずれも鍵を販売、合鍵を扱っている業者。 殺人に至った経緯は「本を出版する際、染谷さんは捕まった3人を含む10人前後の鍵業者に、『店の宣伝もするから取材に応じてくれ』などと話を持ちかけた。さらに宣伝に際して数十万〜百数十万円の出版費用を彼等から引き出していたが、いざ本ができてみると、宣伝はほんの少しで、大半が『あなたは鍵屋を信用しますか?』といった業者をバッシングする内容だった。これに激怒した木原たちは染谷氏を追っていた。染谷氏を発見した男達は6日未明に殺害し、小型船舶の免許を持っていた熊本が現場近くで借りた船で染谷さんの遺体を東京湾に捨てていた。しかし、報道では木原を実行犯・主犯格として扱っておらず、事件にはまだ核心には至ってなさそうである。 染谷氏本人を私は知らないが、大変身近に感じる事件だった。私の店の4割ぐらいはやはりジャーナリストの人達だからである。この数年で所属記者だった人達が何人もフリーに転身している。会社との方向性が合わない人もいるだろうし、自ら独立した人達もいるだろうが、やはり業界的にはフリーの記事を買うという固定経費削除型の時代に入っているようである。飲むときの勢いはあるが、やはり昔のように頻繁に飲んでいるという感じを受けない。聞くところによると、取材に掛かった費用も後日精算というのが、当たり前の様で、大きな事件の取材ほど内容を掘り下げるために借金までしなくてはいけないという現実もあるようだ。組織に属さないフリー・ジャーナリストは気ままに行動できるのだろうが定期の収入がないだけにお金には常に悩まされるだろうと推察する。 染谷氏も本の出版費用や定期書籍の創刊等に失敗して多額の借金が出来て本当に苦しい状況だった様だが、ライターとしては脂が乗ってきた矢先だったことも伺える。7月に東京・赤坂であった小6女児監禁事件では、自殺した容疑者の買春グループを取材、スポットライトを浴びたりしていたらしい。 むしろ、私のお客さん達はこちらの方で殺られたのではないかという意見が多かった。だが、危険な綱渡りを渡り切っていたら、彼も有名かつ勇敢なジャーナリストになって、道が変わっていただろうと思う。どんなに苦しく怪しく危険な時期があっても、それを乗り越えた人間には勲章的なネタ話としての話せるのだから・・。まさに危機一髪の生活だろうが。主犯の逮捕を願うと同時にご冥福を祈りたい。 (記述日 2003/10/26) |
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2004年1月24日、逮捕監禁罪などで起訴されていた元鍵販売会社社長、木原武士こと桜井景三(42)が、染谷さん殺害容疑で起訴された。最初に木原が逮捕された時は、主犯が他にいるような報道だったが、結局本人が主犯であることが判った。木原の本名は桜井景三、日本国籍を取得した元在日。 以前は鍵師養成学校を経営、「今世紀最高の天才鍵開け名人!」としてテレビにも登場、芸能人との交友関係を誇っていた。桜井被告は27歳の時に幼い頃から鍵を開けるのが得意だったので鍵ビジネスの起業を決意。平成8年には日本初という鍵師養成学校を都内に開き、翌年には鍵会社チェーンの経営に乗り出した。 養成学校は以前から「卒業生を1000人出したら閉める」と話していた通り、12年に閉校、14年には社長の座も降りた。また、かつて大阪で暴力団に1年間所属し、背中に刺青までしていた。売春防止法違反、恐喝未遂などで捕まった前科もある。 染谷氏とは取材を通じて知り合い、著書『鍵の聖書』では桜井の会社を「理想の鍵屋」と紹介したが、新たに『鍵の図鑑』なる本を作るため、染谷氏は桜井から170万円を受け取ったが、本は出版されなかった。また、『歌舞伎町アンダーグラウンド』で、桜井の過去の経歴を暴露し、2人の仲は崩れたらしい。「最初は殺るつもりはなかったが、染谷さんが謝らなかったので殺した」と供述した。 桜井とは別に死体遺棄容疑で逮捕された男2人は「頼まれて捨てた」ことが判明。これで、事件は一応の決着をみたと言っていいだろう。しかし、染谷氏、やはり無理し過ぎていたようだ。合掌。 (2004/09/15追記) |