|
◆拉致被害者24年ぶり帰国− (発生日 2002/10/15) ●2002年10月15日、北朝鮮に拉致されていた5人が24年振りに日本の地を踏んだ。福井県では地村保志さん(当時23歳)・浜本富貴恵さん(当時23歳)、新潟県では蓮池薫さん(当時20歳)・奥土祐木子さん(当時22歳)、曽我ひとみさん(当時18歳)の5人は何れも昭和53年頃に北朝鮮の工作員に拉致されたと思われる。 北朝鮮によると思われる拉致問題は1980年頃から一部のジャーナリスト達等によって、真相解明が行われ続けていたが、政府レベルでの問題着手はごく最近になってからのことである。それもかなり及び腰の状態を続けてきていたが、ここに来て漸く総理大臣としては初めて小泉総理が自ら訪朝して問題を進展させ始めた。 マスコミは支持率確保のためのサプライズの一環と捉えていたが、私は素直にエールを送ることにしよう。この問題は過去の政府でも散々「解決に向けて」と表向きはやりながら、外交上の難しさを理由に先延ばししてきた。実際には拉致家族を取り戻したという実例は過去に一度もなかったことを忘れてはいけない。 この帰還を発端にまたマスコミ等は活発に動き出し、これまで控え目だった拉致報道を全面に出すようになってきた。そこから調査は更に進み判ってきたことも多くなってきた。そういう意味でもこの家族の帰還には意味がある。昭和30年代頃から始まっていた日本海側を中心とした拉致は、昭和50年代にも続いていたが、警察の動きも鈍く、失踪者の人達の行方も動機も解明されないものばかりであった。 1980年1月7日、産経新聞は一面トップに《カップル3組の突然の蒸発事件》を報道した。「アベック三組ナゾの蒸発、1978年の夏、福井・新潟・鹿児島・富山の拉致未遂事件や、外国を発信源とするスパイ連絡用の怪電波が、警察によって確認されている」という内容で、これらの失踪が国外のスパイ活動によるものではないかと報じた。この当時、所轄警察署も日本海沿岸を中心とする失踪事件で、北朝鮮が何らかの形で関わっていると見て捜査を開始。海岸付近のパトロールや不審船の調査などを行っていた。 1985年4月、北朝鮮の工作員「辛光洙(シンガンス)」が、韓国当局にスパイ容疑で逮捕され、日本人になりすまして工作活動を行っていたことが明かとなったのだ。この事実と韓国側からの情報によって、失踪した日本人は「北朝鮮に拉致された」と判断されるようになった。報道が少しづつ行われいったのもこの年ぐらいからとなる。 そして、それから10年以上を経て、1997年1月、新潟県で「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足。3月25日には「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成。5月1日には日本政府が「7件10人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と正式に発表するに至る。 しかし、北朝鮮側の不明瞭対応により、実態が霧に覆われたまま、遂に本年9月17日、日本元首として初めて小泉首相が訪朝して、金正日総書記は拉致を認め謝罪を表し、日本政府は「5人生存8人死亡」と発表するまでに至った。 この時にどういう政治的密約があったのかは判らないが、生きてこの5人の被害者は日本の地を踏むことになった。この5人は取りあえず皮切りとなった。問題はここからである。拉致の解決に向けては今、やっとスタートしたに過ぎない。 5人のたどたどしい会見は、美しくもあり、痛々しくもあった。明らかにまだ語ることのできない秘めた思いがあるだろう。彼等の子供達はまだ北朝鮮にいる。彼等に重要なことを語らせることは当面出来ないだろう。さて、他の拉致家族の奪還、子供達の招聘を一体これからどのような外交でやっていくのであろうか・・。「国防」ということばがふと脳裏に浮かんでしまう少しだけ焦臭い香りがしないでもない・・。 窮鼠猫を噛む・・。如何にその場面を回避してゆくかである。 (記述日 2002/10/15) |
|
安倍首相が本部長として2006年9月29日に拉致問題対策本部を設置。 政府は29日の閣議で、北朝鮮による日本人拉致問題への取り組みを強化するための「拉致問題対策本部」の新設を決定する。 安倍首相が本部長、塩崎官房長官が副本部長を務め、関係閣僚らがメンバーとなる。内閣官房に常設の事務局を置き、中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)が事務局長となり、外務、警察など各省庁から専任の職員を置く方針だ。拉致の被害者と家族への支援を担っている内閣府の拉致被害者支援担当室も統括する。10月上旬にも本部の初会合を開く予定だ。 是非、お土産外交ではなく、見事な交渉手腕を見せて欲しい物だ。 (記述日 2006/09/27) |