社会を語ろう。JOEの私見


日韓ワールドカップ閉幕 (発生日 2002/06/30)

 ●2002年5月31日、日韓共催で「2002 FIFAワールドカップ」が開催!。世界の強豪ナショナルチーム32ヶ国が約1ヶ月にわたり母国のプライドをかけて熱い戦いを繰り広げる。・・というのが、日韓併合開催の経緯を省いた謳い文句である。

 さて、でもどうして共催という形になったのだろう?。これって美しきFIFAの配慮か?、と思いつつその現状をインターネットから拾い上げてみると、そうではなさそうですね。

 元々FIFAは1986年頃からアジアでの開催を想定。これに日本が立候補すると知った韓国もアジア初を賭け、93年11月に立候補を表明、94年に招致委員会を組織して対抗。招致に出遅れていた韓国は、現代財閥を中心に政財界をあげての招致活動に乗り出し、現実性の乏しい南北朝鮮共同開催案を出したりして、日本に対抗することに。
 95年2月に両国は正式に立候補を表明。結局、日韓以外の立候補はなく、アジア2カ国だけが正式に立候補となって、どちらかから選抜されることになった。

   開催国は96年6月1日のFIFA臨時理事会で会長、副会長を含む理事21人の投票によって決定される予定だった。しかし、この時期はFIFA会長選挙も控え、一貫して日本を推していたFIFAのアベランジェ会長の会長派と、欧州FIFA理事派の勢力が、次期会長席を巡って対立。現会長の続投を阻止しようと反会長派の欧州理事達は、日韓の共同開催を強く推進した。これに対し南米の会長派は日本単独開催を支持し、最後にアフリカ理事らの動向が決定することになっていった。こうした状況の中、折衝案の日韓共催案への流れが始まっていった。

 直前になって欧州理事らが、欧州リーグに選手を受け入れてもらう立場にあるアフリカ理事の票を押え多数派となった。開催国を決定する投票日前日の定例理事会前のパーティー会場で、アフリカ理事らとの歓談から、趨勢を悟ったアベランジェ会長は、定例理事会で日韓両国による共同開催案を自ら提案せざる得なかった。これには満場一致の拍手の賛成決議で定例理事会は幕を閉じた。この後、アベランジェ会長は美しく会長職を引退した。

 96年5月30日FIFA理事会は、「ワールドカップは単独開催」という原則を無視し、FIFA事務局長名で、投票を待つ日本招致委員会に対し日韓共催を打診する文書を送った。欧州アフリカ理事らの動向を掴めなかった日本はまさかの共同開催決定に涙をのんで受け入れを表明せざる得なかった。成る程、やはり政治ですか・・。クリーンな筈のスポーツも格闘技だけに限らず色々問題あるわけです。

 さて、残念ながら開催に至ってはFIFA内部の勢力争いに単独開催が阻まれた形だけど、肝心な大会の内容は如何だっただろうか?。まず大会の名前には韓国が異常なる執念を見せて、決勝戦を日本で行うこととなった代わりという意味もあり96年に「2002 FIFA World Cup Korea/Japan」と決定。形上はこれが正式となった。この熱き勢いに反して韓国側のチケットがかなり売れ残るという問題が発生。韓国内のサッカー熱はまだ熟していなかったことが露呈してしまいました。

 さて、本題の試合内容だが、これも疑惑の審判問題が続出。一つ一つの内容は避けることにするが、この余りの疑惑の判定続きに、インターネットで集まった1000人もの日本人が、準決勝のドイツ対韓国戦で試合が中継されている国立競技場で、公平な判定を求めてドイツチームの応援をする出来事まで起きた。って、これ皆さん当日知ってました?。

 とまぁ、テレビ観戦では全く判らないことが様々水面下では起こっていたようです。しかし、私の店は連日の放映でお店が大分潤いましたし、新宿の町では韓国人も日本人も結びつきが強くなった感じを受けました。一緒になって飲んでいる姿、結構見ましたからね。想像よりは大きな事件もなく良かったというところではないでしょうか。このままスポーツを通してお互いが隣国として良い関係で行ければよいのですが・・。 (記述日 2002/06/30)




【RETURN 2002】