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◆加藤紘一議員辞職 (発生日 2002.04.08) ●昨年12月10日、一つの事件の判決公判が東京地裁で行われた。前加藤事務所代表をしていた私設秘書の佐藤三郎氏(61)=資材会社・コーショー社長は公共工事をめぐる口利き料などとして得た所得を申告せず約1億7,300万円を脱税したとして罪に問われ、飯田喜信裁判長が懲役2年、 執行猶予4年、 罰金4,300万円の有罪判決を言い渡した。佐藤氏は本年1月19日付で加藤事務所所長を辞任した。この事件で加藤議員にも疑惑の目が向けられ、加藤氏の資金管理団体「社会計画研究会」が、過去5年間に約9千万円の政治資金を加藤氏の個人口座に振り込み、加藤氏はこの資金で自分が住んでいる東京・港区の高級マンションの家賃や生活費に充当していたことが判明した。彼は家賃(月約110万円)が政治資金から支払われたことを認めた。 加藤紘一元幹事長は3月18日、党政治倫理審査会で離党を表明し、山崎拓幹事長に離党届を提出し、自民党を離党した。加藤氏側は当初、このマンションにおいて深夜まで地元関係者らと会合等を行い「自宅兼事務所だ」として、家賃を政治活動費で処理したのは違法ではないと強調していたが、同マンションが加藤氏の住居として使われていたことは間違いなかった。加藤氏側は家賃を政治活動費として支出することについて「当時の自治省(現総務省)に相談し、了解を受けている」と述べていたが、総務省では、その事実を確認することができなかった。そして、政治活動に充てられるべき資金を私的に流用していたという政治資金規正法による重大問題へと発展した。 離党後、1ヶ月も経たない本日4月8日、当初、議員辞職を拒んでいた加藤氏は午後の衆院予算委員会の参考人質疑の席上、議員辞職の意向を表明した。 これで加藤紘一もただの人となった。以前から総理候補と言われていた人物だった。彼は防衛庁長官時代に私が引き継ぐ前の店(BAR)に、朝日新聞記者の誘いでSPを伴って来たことがあった。当時経営をしていた母の話しを聞くと、彼は非常に腰が低く、温厚で落ち着いた人物だったと語っていたのを思い出す。私も個人的なイメージとして、永田町の魑魅魍魎界にあって清潔感を感じることが出来、また政策通であることも感じ、応援したいと思っていた政治家であった。 最初に不安を覚えたのは2000年11月の「加藤政局」の時だった。あれは低迷する森内閣に内閣不信任案を出した野党に便乗して、自民党加藤派・山崎派が起こした反乱だった。自民党支持者も含め、市民の多くが期待に胸をふくらませた。勿論、私もその一人だったが、その政変劇は、自民党執行部の猛烈な切り崩しの許、加藤派・山崎派のあっけない全面降伏となり終息した。この時、加藤氏は苦渋の涙を見せた。その涙と谷垣禎一議員や塩崎恭久議員を中心とした次郎長的な茶番劇にえらく白けたのを思い出した。おいおい、これは政治の世界だよな、なんと潔さのないことか・・。この人は大丈夫だろうか?。同時に失望した。 そして、今回の件は更に失望を深めた。それは辻本清美と同じ様な、潔さのなさだった。代議士という立場には簡単に成れないのだろうが、禊ぎも出来ずに恋々と地位に固執する姿は政治家として最悪である。きっといつか彼はまた出てくる時があるだろう。だが、それまでに十分に身を清めておいて欲しいものである。政治家として政策に自信を持つことは重要であるが、すっかり保守に染まった垢を落としておいて欲しいものである。これは当然加藤紘一に限らぬ話しである。この勢いならまだまだ議員辞職は続きそうである。そして、一段落付いた頃にやっと改革の時代がやってくるだろう。 (記述日 2002.04.09 ) |