MY FAVORITE MUSIC
北国行きで




次の北国行きが来たら乗るの、スーツケースをひとつ下げて乗るの

久しぶりに涙がこぼれた。時間が経ってからの方が悲しい。
彼女はスーツケースも持つことが出来ず
公団のアパートで独り淋しく逝ってしまった。
行った先はやはり北国だろうか・・。
晩年一緒に住んでいたと噂される男の人
いつか結婚したいと言っていた
ターちゃんにお別れの手紙は届いただろうか。

2004年7月31日、朱里エイコが逝った。享年58歳。
30年以上前の歌「北国行きで」は約50万枚売れた。
私は中学生ぐらい。彼女は私の中で
小川知子・黛じゅん・中村アキコ・八代亜紀・平山美紀
などに匹敵する私の中でのアダルト・セクシー・アイドル。
でも、歌の上手さ、声量、声質そして美しい脚は
勿論、彼女が一番だろう。
だから日本でたった二人しかいない
カーネギーホールのステージに立った一人でもある。
日本では"超"の付くトップランクの実力シンガーだった。

売れる前は下積み時代があったようだ。
ただ、これはご多分に漏れない芸の世界の通常。
全盛期、売れてからはこれも当たり前の
平均睡眠時間3時間。ひたすら忙しい日々。旬が勝負。
歌って歌って歌い続けたでしょう。
東京生まれ。オペラ歌手の父とダンサーの母を持ちながら
でも、ちょっと田舎娘っぽかった顔立ちの
彼女は1億の保険をかけた美脚を武器に
ダイナミックな歌いっぷりでファンを魅了。
ステージの評価はプロの間でも高かったという。

花は大きく咲いたが散るのも早かった。
まさか、世界に通用するほどの天才だった彼女を
一般のアイドルと同じ様に扱ったのでは?
上手に扱いも出来ず、未来を与えることもせずに使い続けた。
キャンセル・失踪・奇行が目立ってくる。
歌の間奏部分で世界の平和を説いたりしたらしい。
やはり当時の芸能界は商品は使い捨ての布の様、
使えるうちはいいが、後はボロ雑巾にもなる。
彼女のジレンマの陰で沢山儲けた会社もあっただろう。
今日この日にまだ遺骨の引き取り手が名乗りでない。
引き取ってくれる親族も・・会社すらない。
リトルダイナマイトは華やかな時代の犠牲者となったまま
淋しく厳しい晩年を迎えてしまった。とても悲しい世の中である。
せめて彼女の歌を私は歌おう・・合掌。



記:2004年8月6日(金)  






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