HISTORY
−花園ゴールデン街の歴史−

2007年05月10日更新

 
 今も昔のままの姿を留めたバラック街が出来たのは、昭和二十年代の中半(24年頃)ぐらいではないか、といわれている。
 終戦直後、新宿の東口付近に発生した闇市から発展した商店街が、新宿駅拡張工事、露天商撤退の命のため、この地(旧・三光町)に場所を移してきた。当初は多種多様な商店が混在し、街全体がひとつのスーパー・マーケットの様になっていた。
 しかし、駅の繁華街から離れた場所での商売は厳しく、早々に見切りをつけた商店主達は次々と店を手放し、入れ替わりに飲み屋がその数を増やしてゆく。
 飲み屋と言っても、純粋に酒を飲ませるだけの店は殆ど無かった。昭和33年に「売春防止法」が施行されるまで、此所は事実上、色町として成り立っていた。要するに性的な交渉が出来る盛り場だったが、二丁目の赤線(公娼のいた遊郭)とは違い、公には認可されていない青線地帯(私娼が商売する場所)だった。
 法律制定後も、おおぴっらな営業行為こそしてはいなかったが、一階で酒を飲ませ、二階で性交渉というスタイルは変わることがなかった。階上にはちょいの間という小さく区切られた寝台状の部屋が区切られ、そこで売春行為が行われていた。
 昭和39年の東京オリンピックが開催される時期が近ずくにつれて、国際都市東京のイメージ作りが強化され、売春防止法や風営法の取締は厳しくなり、街の雰囲気も変化を余儀なくされる。

 ゴールデン街という名称が付けられたのは昭和四十年のことであり、この頃から街は混在化した酒場としての色が濃くなってくる。
 まず、二丁目の男娼達が入り込んできて大衆のゲイ・バーを始めた。売り線に混じりこんだ営業オカマはサラリーマン達を街に呼び寄せた。
 ほぼ同じ時期、劇団関係者、三文文士、そして学生運動家達が活動資金稼ぎに店を開き始める。同じような志や、夢を持った役者・作家・コメディアン・シンガー・写真家・漫画家・政治活動家等の卵達がそれぞれの店に集い、行き交い、熱く語り、他の盛り場では会えない個性で街は賑わいをみせた。
 こうして、この酒場は様々な人種が入り乱れ、混然一体とした様相を深めてゆく。
 そこから生まれたものは、自由であり、そこはかとない愛である。夢をポケットに詰め込んだ者達が、身分に捕らわれることなく、心置きなく飲み、語り、論じ、労り、お互いに切磋琢磨しながら、自分達の夢を実現していった。今は著名な文化人達も、この街から大勢輩出されている。著名人達のリストは「STORIES」のページに執筆した「ゴールデン街の陽はくれて」第五話にあるので参考にして下さい。

 その後、昭和50年代の安定期を過ごし、やがて、昭和60年の秋頃から始まったバブル景気を迎える。この時、既に住居表示が『歌舞伎町1丁目』となっていた「花園ゴールデン街」の土地は、都庁の移転計画にも煽られ、新宿の一等地と同等の扱いを受け、実質売買で坪・数千万以上の値がついた。
 当時は様々なデパートの出店や、ビル化計画などの噂が後を絶たず、この土地も三分の一程度の土地が売買されていった。ゴールデン街と隣接してあった区役所通り沿いのバラック酒場街の「柳街」は全てが買収され、その姿を完全に消し去ってしまう。花園ゴールデン街がレトロで味わいのある風景を今に留めることが出来たのは、複雑に絡み合った権利関係と、古くからの家主達の踏ん張りに助けられたお陰である。
 一部の土地が売られ、虫食い状態になりながらも、平成2年のバブル崩壊以前までは、街はまだ常連達に支えられながら、それなりの賑わいをみせていた。しかし、断続的な景気の低迷による客の新陳代謝の停滞と、昔ながらの店主や顧客達の老齢化が、安酒場の明かりをひとつひとつ消し続けてゆく状態が続いていた。

 しかし! この街の蘇生能力が完全に失われたわけではなかった。バブル崩壊後から三・四年を過ぎた頃から、街に若者が集まり始めた。若い頃にこの街の客だった者達が、閉じた店を借りて、営業を開始したのだ。
 彼等は「花園・ゴールデン街」に惹かれれ、この場所で小さいながらも自分達のアイデンティティーを発揮できる店をオープンし始めた。ポツポツと若手の店が増えてゆく中、いよいよ一帯を取りまとめて管理していた不動産会社が、各地権者に呼びかけて店舗を貸出始めた。定期借家という期間限定の貸出方式は自前の内装費以外は格安の賃貸価格のために、店は21世紀に入ってから一気に増えた。かつて、飲んでいた側の人間が店を経営し、新たなアミューズメントの社交場を築こうとしている。以前ほどの熱い語りではないかも知れない。イデオロギーをぶつけ合う喧嘩も少なくなったかも知れない。しかし、また賑やかに語らい、明日の活力を得るための酒場として花園ゴールデン街は着実に復活の兆しをみせている。
 とは、言え・・、やはり初めて訪れた時はちょっと怖〜いイメージをもつかも知れない。何と言っても景観だけは木造の長屋で、メニューを出している店も少ない。通りを歩くと店の中から「いかが?」と声を掛ける客引きのおばちゃん達もいるが、街の風物詩と思って横目で過ぎるか、思い切って飛び込んでみるかは貴方次第。ぼったくりのお店はないが、入るときはしっかり料金確認しよう。
 まだまだ怪しい感じの酒場だけど(笑)、馴染みの店さえ出来ればどっぷりはまりこむことでしょう。女性客が増えていることが、この街が安心な街であることを示している。男女が気軽に本音を交換しあえる酒場にもなって、花園ゴールデン街はこれから、ますますトレンドな場所になることを請け合っておこう。
 勿論、安い酒を飲ませる場所であることだけは、今も昔も変わりはない。最後に一言。花園ゴールデン街の醍醐味は梯子酒だ!

さあ、貴方も、貴女も是非、この街で体験して欲しい。
 他では決して味わえない、暖かくノスタルジックな風を・・。